赤いフードの偽物姫と黒いフードの人外陛下〜敗戦したので売国しに乗り込んだら、何故か溺愛生活始まりました〜

65.偽物姫と押しかけ淑女。

 調べ物をしていた手から不意にペンが落ちた。
 それはあまりに突然で、私は自分の指と転がったペンに視線を落とし、驚く。
 と同時にこんな日がいつか来ると分かっていたはずだったのに、今まで忘れていたなんてと内心で苦笑する。

「もう、何をしているのよ。ペン先が潰れてるじゃない」

 そう言ってペンを拾い上げてくれたシエラは、当然のように私にそれを渡す。

「……何よ、イザベラが2人の時は言葉を戻してって言ったんじゃない」

 いつまでも受け取らない私を不審そうに見返し、抗議の声を上げるシエラ。
 女官らしく振る舞おうとしていた彼女に、今まで通りの振る舞いを求めたのは私だ。
 シエラの態度や行動に多々問題があったのは確かだけど、自分の改めるべきところを振り返り、自ら考え行動に移しはじめた今、彼女の素直さが失われるのは勿体ない気がしたのだ。
 どうやら一緒に過ごすうちに情が湧いたらしいと私自身驚いている。

「自分から言い出した事に難癖をつけたりしないわよ。今更シエラに敬われてもねぇ」

 軽口を叩かながら、私は差し出されたペンを受け取らず、

「拾ってくれてありがとう。悪いけれど片しておいてくれる? 少し、疲れてしまって」

 シエラに笑顔でそう告げた私は隣接している寝室に下がる。
 パタン、とドアを閉めた途端ガクンと足からも力が抜けた。

「……気づかれなかったかしら」

 私は指先に視線を落とす。
 指先に力が入らず、感覚がなかった。それは紛れもなくリープ病が進行した時の症状の一つだった。
 先生から宣告された時間はもう遠に過ぎていて、遅延魔法のかけられた指輪も失くした。
 いつこうなったっておかしくはなかったのに、セルヴィス様に気遣われ人並み以上の生活をさせてもらっていたおかげで、クローゼアにいた時より身体が楽だと感じる事が多くて。
 私はまだ大丈夫なんじゃないか、と。
 淡い期待をしてしまっていた。
 この病の治療法は未だ確立されておらず、病気の進行速度に差はあれど、例外なく最後は長い眠りについて死んでしまうと嫌になるほど知っていたのに。

「……早く、ここから去らないと」

 身体が完全に動かなくなる前に、と私は改めてそう決意した。

 少し休もう、とそのまま横になり微睡んだ意識が、耳に痛いほどの爆裂音のせいで覚醒する。

「……何事かしら?」

 普段静かな離宮においては珍しい。
 はて、と首を傾げたところで心当たりは一つしか浮かばなかったので、私はゆるゆると来客準備に取り掛かった。

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