赤いフードの偽物姫と黒いフードの人外陛下〜敗戦したので売国しに乗り込んだら、何故か溺愛生活始まりました〜

88.偽物姫の想い他人。

 幼少期から慣れ親しんだ暗くてベッドが大半を占める狭い部屋で私はゆっくり目を覚ます。
 身体を起こそうとしたけれど鉛のように重たくて、上手く力が入らない。
 仕方なくため息をついて、身体を起こすことを諦めた。

「……今回はどれくらい眠っていたのかしら」

 訪れる人がいないこの部屋では、ほとんど情報が入って来ない。
 グレイスという手札を手に入れ、イザベラに全ての情報を託し、サーシャ先生と解毒剤を作製した後、偽物の私は表舞台から姿を消した。
 だからその後の話は知らないけれど、今も王城の片隅で無事に生きている、ということは首尾良く事が済んだと考えていいだろう。
 何より任せてと言ったイザベラが失敗するとは思えない。きっと大丈夫だ。
 だから。

「……これ以上を望むのは欲張り過ぎよね」

 反撃の準備が整った頃、大きな発作と共に崩れ落ちた身体が回復することはなく、そこからどんどん身体は機能を失っていった。
 元々もって1年と言われていた身だ。リープ病を患いながらも、成すべきことをできたのだから僥倖だろう。
 と、分かっているのに。

「……ヴィー」

 枕元に置いてあった真っ赤なダリアの花の簪に視線を向ける。

『イザベラ、お前を寵妃に任命する』

 売国のプレゼンが失敗したあの日、そんなセルヴィス様の命令(無茶振り)から私達の関係は始まった。

「色々、あったなぁ」

 本当に無茶ばかりをした。
 先帝の呪いを解いたり、四家の令嬢を蹴散らしたり。
 誘拐されたり、助け出されたり。
 今まで生きてきた時間に比べたらとても短いはずなのに、帝国で過ごした日々は濃く私の中に色付いていて。
 クローゼアにいたときには考えられないくらい、怒って、泣いて、笑った日々の中で。
 望んではいけない人に恋をした。
 目を閉じれば私を見つめる優しい紺碧の双眸が脳裏に浮かぶ。

「……会いたい、なぁ」

 だけど帝国を出て、あの手を離したらもう二度と会えないことは分かっていた。
 私は偽物なのだとセルヴィス様が気づいても、気づかなくても。
 なぜなら私はそもそも存在しないはずの人間だから。

「本物の暴君王女(イザベラ)はすごかったでしょう? ベラは自慢のお姉様なの」

 私は簪を見つめながら、得意げに独り言を呟く。
 セルヴィス様はこの王城で本物のイザベラに会ったはずだ。
 キラキラと輝き堂々と振る舞う彼女はとても美しかっただろう。
 きっと偽物()とは比べ物にならないくらいに。
 本物が存在するのだから、偽物姫は必要ない。

「だから、もう……会えない」

 私は偽物なのだと自分に言い聞かせ、そっと簪に手を伸ばす。
 未練がましい、と自分でも呆れてしまう。
 だけど、私にはもうこれしか残っていないのだ。
 偽物の私では、セルヴィス様が見事なんだと言った庭園に咲き誇る花を一緒に見る事も、彼の大事にしている植物園の行末を見届けることも叶わない。
 勿論、私の本当の名前を伝える事も。

「……あっ」

 上手く動かせなかった手で掴み損ねた簪がベッドから床に落ちていく。

「嫌っ!!」

 咄嗟に身を乗り出し、バランスを崩した私もベッドから転落する。
 だけど覚悟したはずの痛みはいつまで経っても訪れず、代わりにふわりと手触りのいい何かに受け止められた。

「…………?」

 目をそっと開ければ、真っ黒な毛並みの大きな狼と目があった。

「バウ!」

 私を器用に支え床に座らせた狼は、拾ってきた簪をそっと私の掌に乗せる。

「うぅ、ガゥ!!」

 そして叱るように少し大きく鳴いた後、

「バウ! バウ!」

 紺碧の瞳が優しげに私を見ながら、とても嬉しそうにパタパタと尻尾を振った。

「……ヴィー?」

 こんな都合のいい事があるわけがない。
 幻でも見ているのだろうか。
 そんな思いが過ったけれど。

「バウ」

 短い鳴き声とともに私に触れてきた温もりが、これは現実なのだと教えてくれる。

「ヴィー!!」

 何も考えられなくなった私はヴィーに抱きつき子どもみたいにポロポロと涙を溢したけれど、彼はいつもそうだったように何も言わず私が落ち着くまでずっと静かに寄り添ってくれた。
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