夫の心に住んでいるのは私以外の女性でした 〜さよならは私からいたしますのでご安心下さい〜
第12話
「イライジャ……くれぐれもよろしくお願いしますね」
「この家を全力でお守りします」
私は後ろ髪を引かれる思いで実家を後にした。
実家の馬車に乗り込む前に御者が私に手を貸した。彼も見知った者だった。
「お嬢様をお乗せするのは、久しぶりですね。こんな機会でも……嬉しいですよ」
御者の目は赤い。
確かにガーフィールド家を支える事に死に物狂いになっていて、嫁いでから私は一度も此処に帰ってきていなかった。ガーフィールド家が落ち着いたと思ったら、次は父がこんな事に。
私の結婚式が父と話した最後だったなんて……今でも信じられない。
私は今にも泣き出しそうな御者に言った。
「母と弟をよろしくね。私もなるべく顔を出すわ」
王都から此処までは約半日。朝早く出れば、夜にはたどり着く。これからはもう少し実家へも戻ろうと私は決意する。
「はい。……旦那様にお世話になった分、今度は私達がお返しする番です。使用人一同心を込めてお仕えさせていただきます」
そう頭を下げる御者に私も心から感謝した。
王都にたどり着いたのは、もう夕暮れも差し迫った時だった。
「そうだわ。ジョージの好きなお茶を買って帰りましょう」
いつものその店の前を通り過ぎる頃だった。思いついた私は御者へ声を掛ける。
「急にごめんなさい。あのお店に寄りたいの。少し待っててくれる」
「はい。……ここらには馬車を停めておけませんので、少し先でお待ちしても?」
「もちろんよ。少し待っててね」
「もう日も暮れそうですので、お気をつけて」
馬車を降りた私は一目散に目当ての店に向かった。
「これと……これも良いわね」
茶葉を選んでいた私がふと、顔を上げて通りを見たのは、偶然だ。いや……もしかしたら虫の知らせだったのか?
そこにはグラディスさんと腕を組んで歩くジョージの姿があった。
何故此処に?そう思うより早く、私は手に持っていた茶葉を棚に戻すと、店を出た。
二人は私には全く気付いていない様子だ。私は無意識に、二人の後を追いかけた。
二人は仲良さそうに微笑み合って歩いている。二人の世界だからか、後をつける私には気付いていない。
人混みを良いことに、私は二人の会話が聞こえるぐらいの距離まで近付いた。
「ねぇ、明日はスローンズに行きたいわ」
グラディスさんが口にした名前は、私とジョージが外食に良く使うレストランの店名だった。
「明日か……そろそろキキが戻って来るかもしれない」
「まだきっと実家でゆっくりしてるわよ。ね?明日も……いいでしょう?」
甘えた様なグラディスさんの声に、何故か私の胸は苦しくなった。
こんな事をしても、その先に幸せはない。
そんな事は分かっている。分かっているが、私は彼らの跡をつける事を止めることが出来なかった。
幸いなことに二人はまだ私に気づかない。
「ねぇ、あそこに寄りましょうよ」
グラディスさんが指差すずっと先にはアクセサリーショップがあった。
「昨日も指輪を買ったばかりじゃないか」
「だって、ジョージに選んで貰った物を身に着けたいんだもの。ほら……キルステンさんのネックレスだって」
「あれは……結婚記念日だったから」
「でも皮肉よね。あのルビー、キルステンさんの瞳の色より私の髪の色に近いわ」
確かに私の瞳は淡い赤。キルステンさんの髪色は燃えるような赤だ。
ルビーの色は深い赤。どちらかと言えば彼女の髪色の方が近いかもしれないが、そんなのこじつけだ。
「同じ赤だから……」
ジョージの声が雑踏に滲む。ジョージの低い声はあまり聞こえなくなってきたが、グラディスさんの甲高い声は良く聞こえた。
「私、あの時の事を今でも後悔しているの。初めての人を忘れるなんて、やはり無理な話だったんだわ」
グラディスさんの言っている意味が、私の想像と同じだとしたら……私の心臓が早鐘を打つ。
「それは……僕だって……」
途切れ途切れのジョージの声。
「私が後悔しているのは、あの晩あのままジョージの手を取らなかった事よ。貴方が言ってくれた様に一緒に逃げれば良かったって。二人ならたとえ貧しくても……!」
「君は……それでもご両親を裏切れなかったよ。君の優しさは分かってたんだ。だから……」
「ねぇ………置いてきてしまったけど……あの子は……」
そこまで聞いて、私は震え始めた。もしかしてグラディスさんの子どもって……。
「まさか!」
ジョージも驚いたのだろう。今までよりはっきりとした声が聞こえた。
「その可能性があるって事よ!ねぇ……キルステンさんは石女でしょう?私なら、貴方の子どもを産んであげられるわ!」
「馬鹿を言うな!僕は結婚してる」
「ガーフィールド家を貴方の代で途絶えさせて良いの?」
「それは……」
ジョージが口籠る。……否定してくれないのね。
「ねぇ、ジョージ!私を見て!」
急に二人が立ち止まる。私も急いで立ち止まったせいで、後から人にぶつかられてしまった。
二人は周りなど見ていない。グラディスさんはジョージの頬を両方の手で挟み、自分の方を向かせた。
私は手近な建物の影に身を潜めて、そっと二人の様子を探る。
私の心が引き返せと警鐘を鳴らす。しかし、私はそこから一歩も動けなかった。
「グラディス……」
「私の気持ちはあの時からずっと変わっていない。ジョージ……愛してるの」
「グラディス……」
ジョージの顔は戸惑っている様にも、喜んでいる様にも見える。そして二人の顔が自然と近づいて……彼らは周りの目も気にせずに、惹かれ合う様に口づけた。
「この家を全力でお守りします」
私は後ろ髪を引かれる思いで実家を後にした。
実家の馬車に乗り込む前に御者が私に手を貸した。彼も見知った者だった。
「お嬢様をお乗せするのは、久しぶりですね。こんな機会でも……嬉しいですよ」
御者の目は赤い。
確かにガーフィールド家を支える事に死に物狂いになっていて、嫁いでから私は一度も此処に帰ってきていなかった。ガーフィールド家が落ち着いたと思ったら、次は父がこんな事に。
私の結婚式が父と話した最後だったなんて……今でも信じられない。
私は今にも泣き出しそうな御者に言った。
「母と弟をよろしくね。私もなるべく顔を出すわ」
王都から此処までは約半日。朝早く出れば、夜にはたどり着く。これからはもう少し実家へも戻ろうと私は決意する。
「はい。……旦那様にお世話になった分、今度は私達がお返しする番です。使用人一同心を込めてお仕えさせていただきます」
そう頭を下げる御者に私も心から感謝した。
王都にたどり着いたのは、もう夕暮れも差し迫った時だった。
「そうだわ。ジョージの好きなお茶を買って帰りましょう」
いつものその店の前を通り過ぎる頃だった。思いついた私は御者へ声を掛ける。
「急にごめんなさい。あのお店に寄りたいの。少し待っててくれる」
「はい。……ここらには馬車を停めておけませんので、少し先でお待ちしても?」
「もちろんよ。少し待っててね」
「もう日も暮れそうですので、お気をつけて」
馬車を降りた私は一目散に目当ての店に向かった。
「これと……これも良いわね」
茶葉を選んでいた私がふと、顔を上げて通りを見たのは、偶然だ。いや……もしかしたら虫の知らせだったのか?
そこにはグラディスさんと腕を組んで歩くジョージの姿があった。
何故此処に?そう思うより早く、私は手に持っていた茶葉を棚に戻すと、店を出た。
二人は私には全く気付いていない様子だ。私は無意識に、二人の後を追いかけた。
二人は仲良さそうに微笑み合って歩いている。二人の世界だからか、後をつける私には気付いていない。
人混みを良いことに、私は二人の会話が聞こえるぐらいの距離まで近付いた。
「ねぇ、明日はスローンズに行きたいわ」
グラディスさんが口にした名前は、私とジョージが外食に良く使うレストランの店名だった。
「明日か……そろそろキキが戻って来るかもしれない」
「まだきっと実家でゆっくりしてるわよ。ね?明日も……いいでしょう?」
甘えた様なグラディスさんの声に、何故か私の胸は苦しくなった。
こんな事をしても、その先に幸せはない。
そんな事は分かっている。分かっているが、私は彼らの跡をつける事を止めることが出来なかった。
幸いなことに二人はまだ私に気づかない。
「ねぇ、あそこに寄りましょうよ」
グラディスさんが指差すずっと先にはアクセサリーショップがあった。
「昨日も指輪を買ったばかりじゃないか」
「だって、ジョージに選んで貰った物を身に着けたいんだもの。ほら……キルステンさんのネックレスだって」
「あれは……結婚記念日だったから」
「でも皮肉よね。あのルビー、キルステンさんの瞳の色より私の髪の色に近いわ」
確かに私の瞳は淡い赤。キルステンさんの髪色は燃えるような赤だ。
ルビーの色は深い赤。どちらかと言えば彼女の髪色の方が近いかもしれないが、そんなのこじつけだ。
「同じ赤だから……」
ジョージの声が雑踏に滲む。ジョージの低い声はあまり聞こえなくなってきたが、グラディスさんの甲高い声は良く聞こえた。
「私、あの時の事を今でも後悔しているの。初めての人を忘れるなんて、やはり無理な話だったんだわ」
グラディスさんの言っている意味が、私の想像と同じだとしたら……私の心臓が早鐘を打つ。
「それは……僕だって……」
途切れ途切れのジョージの声。
「私が後悔しているのは、あの晩あのままジョージの手を取らなかった事よ。貴方が言ってくれた様に一緒に逃げれば良かったって。二人ならたとえ貧しくても……!」
「君は……それでもご両親を裏切れなかったよ。君の優しさは分かってたんだ。だから……」
「ねぇ………置いてきてしまったけど……あの子は……」
そこまで聞いて、私は震え始めた。もしかしてグラディスさんの子どもって……。
「まさか!」
ジョージも驚いたのだろう。今までよりはっきりとした声が聞こえた。
「その可能性があるって事よ!ねぇ……キルステンさんは石女でしょう?私なら、貴方の子どもを産んであげられるわ!」
「馬鹿を言うな!僕は結婚してる」
「ガーフィールド家を貴方の代で途絶えさせて良いの?」
「それは……」
ジョージが口籠る。……否定してくれないのね。
「ねぇ、ジョージ!私を見て!」
急に二人が立ち止まる。私も急いで立ち止まったせいで、後から人にぶつかられてしまった。
二人は周りなど見ていない。グラディスさんはジョージの頬を両方の手で挟み、自分の方を向かせた。
私は手近な建物の影に身を潜めて、そっと二人の様子を探る。
私の心が引き返せと警鐘を鳴らす。しかし、私はそこから一歩も動けなかった。
「グラディス……」
「私の気持ちはあの時からずっと変わっていない。ジョージ……愛してるの」
「グラディス……」
ジョージの顔は戸惑っている様にも、喜んでいる様にも見える。そして二人の顔が自然と近づいて……彼らは周りの目も気にせずに、惹かれ合う様に口づけた。