夫の心に住んでいるのは私以外の女性でした 〜さよならは私からいたしますのでご安心下さい〜

第14話


「りえん……?りえんとはあの離縁?」

司祭が驚くのも尤もだ。私達には不仲の噂も問題もなかった。周りから見れば……だが。

唯一の問題と言えば子がない事だろうが、それについても仲良しなご婦人方に言わせると、
『キルステンさんが忙しすぎるのよ。子どもだって遠慮しちゃうわ。きっと貴女の心と体の準備が整えば、二人の元にやって来てくれるわよ』との事だった。

それが私に対する慰めであったとしても、私はその言葉に助けられていた。
たとえ月のものが来る度に絶望したとしても、きっといつかは愛しい子に会える、愛しい人を喜ばせる事が出来る……と。


「ええ。司祭様の頭の中にある『離縁』で間違いないと思いますわ」

「そんな……。何故?と理由を訊いても?」

「理由は私に子が出来ない事ですわ」

正直、これは理由の一つに過ぎない。
私はこれが理由でジョージから離縁を言い渡されたのなら、納得して別れただろうが、私から言い出す事は天と地がひっくり返っても無いと思っていた。

私はもう見たくないのだ。私にもグラディスさんにも良い顔をするジョージを。

私が石女と呼ばれる事は仕方ない。しかしそれを容認したジョージを信じられなくなった。
そう……一番の理由はジョージへの信頼が揺らいだ事だ。夫婦である事は妥協の連続の上で成り立つものかもしれない。それはお互い納得済みであれば些細な事の様に思えていた。

しかし信頼を失った人間に人生を預ける事は出来ない。

私は司祭に納得して貰いたくて、理由の一つだけを口にする。そしてこれが女性から申し出て、相手の同意無くして離縁出来る唯一の条件だった。
女性の権利の保護を謳う女王陛下でさえ『石女』は黙って去れという事を容認しているのだ。何とも矛盾を感じるが、今の私にとってこれはとても都合が良かった。

「もう……三年になりますか……」

「ええ、つい先々月結婚して丸三年経ちました。これで条件は満たしていますでしょう?」

「しかし……伯爵はそれを納得しているのですか?」


「この条件は相手の同意を必要としません」

「確かにそうですが……伯爵はご夫人を愛しておられます。私もお会いした時などはいつもご夫人の惚気ばかり聞かされましたよ。自分にどれだけ献身的に尽くしてくれているのかを理解し感謝もしていました。それなのに……」

「司祭様。人の心の中までは他人には見えません。そこに誰が住んでいるのかは……本人にしか分からない事なのです」

私はニッコリと微笑んだ。

そう。彼の心には別の女性が住んでいる。それもずっと昔から。




陛下からの許可を得るため、少し時間が欲しい。そう司祭様に言われてしまい落胆して帰路に就く。
直ぐに離縁出来ると思っていたのに……残念だ。

残念過ぎて、家に帰ると何だか気分まで悪くなってきた。

しかし……

「キキ、今日は僕も君の部屋で食事して良いかな?」

「ごめんなさい。今日は気分が良くないので、食事はいらないと言ったばかりなの。食べ物の匂いを嗅ぐのも辛くて……。ジョージ、貴方は食堂で食べたら?」

「今日《《は》》?ずっと体調が悪いんだろ?」

「あぁ……今日《《も》》、よ。でも今日は特別悪いの」

「しかし一人の食事は味気なくて……」

「ならばグラディスさんと外食でもなさったら?それともまた屋敷に招待する?」

別に嫌味のつもりでも何でもなかった。本当に心からそう思って言った事だ。
だけど、ジョージは何故かとても傷ついた様な顔をした。

……そんな資格貴方にあるの?

「どうしてそこにグラディスが出てくるんだ?」

「貴方前に言ったじゃない『グラディスさんと仲良くしてくれ』って。グラディスさんも私と仲良くするより、ジョージとお話する方がよっぽど楽しい筈よ。だって家族も同然、なのでしょう?」

『そのまま本当に家族になれば?』そう言いたい気持ちをグッと我慢する。

「キキ……。グラディスとの事を気にしてるのか?」

「グラディスさんとの事って?」

「いや……ほら僕達が元婚約者同士で、その……色々とあった為に仕方なく婚約解消したって話。姉さんやグラディスが良く口にしていたから」

随分と私以外の三人で昔話ばかりしていたものね。気づいていたのに、今の今まで気にしていなかったの?

「別に。どうして急に?それに今更だわ」

そう今更だ。

「いや……キキの様子がおかしいから」

おかしいのは貴方の頭の中じゃない?

「父が亡くなって色々と忙しくて疲れているのよ。悲しい事があっても私は平気なフリをしなければダメなの?」

「いや!そんな事を言ってるんじゃないんだ……その……僕が大切なのはキキだから……それを分かって欲しくて」

「そんなに私を大切だと思うなら、少し放っておいてくれない?本当に体調が悪いのよ」

話している最中も、ずっと胸がムカムカしている。ジョージと話す事がこんなにも不快に思う様になるなんて。
人間とは不思議なものだ。嫌いになると、何から何まで鼻につく。

そんな本心に全て蓋をして、私はジョージにしおらしくしてみせた。

「体調が悪い時に他人に気を遣える程の余裕がないの。きつい物言いになってしまってごめんなさい」

「いや。僕の方こそ体調が悪いと言っているのに申し訳なかった」

ジョージは私への謝罪を口にすると、今度は大人しく部屋を出て行った。


『他人』と私が口にした言葉の本当の意味を、貴方が知るのはいつになるのかしら?
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