夫の心に住んでいるのは私以外の女性でした 〜さよならは私からいたしますのでご安心下さい〜
第16話
私は急いで書状をサッとテーブルから退かす。大切な許可状が酒で琥珀色に染まっては困る。
「ジョージ、お酒が溢れてるわ」
私に言われてハッとしたジョージが、酒のグラスをテーブルに置く。
「ちょっと拭くものを持って来て貰いましょう」
さっき私達の側から離れたメイドに声を掛けようと、私が腰を上げるも、
「そんな事はどうでも良い!今……今、何と言ったんだ?!」
とジョージは目を見開いたまま、私に詰め寄った。目玉がこぼれ落ちそうでちょっと怖い。
「でも……テーブルが……」「そんな場合じゃないだろう!!」
私とジョージの声がほぼ重なる。どうもメイドを呼びに行くことは出来そうにない。
「『離縁してもらいます』とそう言ったわ」
「な……何を馬鹿な!どうして離縁しなければならないんだ!」
「落ち着いてよ、ジョージ。貴方も喜ぶと思ったのに」
「君はさっきから何故そんな落ち着いて……?それに僕が喜ぶ?本当に何を言ってるんだ?」
「私はこうなる事を望んでいるんだもの。落ち着いているに決まっているでしょう?それに私と離縁すれば、貴方はグラディスさんと再婚出来る。二人……いえ三人にとって喜ばしい事でしょう?」
「何故僕がグラディスと……?」
「何故……って。グラディスさんなら貴方の子どもを産んでくれるそうじゃない。いや……もしかするともう二人には子どもが居るのではなくて?」
私の言葉にジョージは顔を青くした。
「それを何処で……?」
「あんな往来で口づけをしたら、嫌でも目に入るわ」
私がにっこりと微笑めば、ジョージはますます顔を青くし、唇を震わせた。
「違う!違う!あれは違うんだ!」
何が違うと言うのだろう?私は首を傾げた。
「違う?私はこの目で見たし、この耳で聞いたわ。何も違わない」
「あ……あれは、その場の雰囲気に飲まれただけだ。それにグラディスの子は僕の子どもではない!」
「あら?そうなの?でも心当たりはあるのよね?」
「それは……あの時の僕はどうかしていたんだ。グラディスが初めては僕が良いと……僕は最初断ったんだ。彼女は今から結婚する身だし……」
「ちょっと待って。私、別に貴方達の情事について詳しく知りたい訳じゃのよ?フフフ」
思わず笑ってしまった。過去を責めたつもりもないのに、ベラベラと。
「そ、そうだが……勘違いされたくない」
「でも、二人で逃げようと思っていたのでしょう?……そうなされば良かったのに」
「違っ……!正直言って、あの時はグラディスに言わされたってのに近くて……」
ジョージがこんなに言い訳ばかりの男だとは思わなかった。私は今まで彼の何処を見ていたのだろう。
「ジョージ……。グラディスさんだけを悪者にするのは良くないわ。私は別に今更二人を責めている訳じゃないの。ただ、信頼出来ない夫は必要ない。それだけよ」
私が淡々とそう言うと、ジョージはバン!とテーブルを叩いて立ち上がった。
「僕は離縁なんてしない!!絶対に!」
大声がサロンに響き渡る。私はそんな彼に、またもや笑いたくなった。
『絶対に!!』と言われたところで私の気持ちが変わる訳もなく……
「ジョージ、座ったら?それとも貴方がメイドを呼びに行ってくれるの?」
テーブルに溢れたお酒が気になって仕方ない。匂いだけで酔いそうだ。……私って意外とお酒に弱かったのかしら。
「君は……っ!何なんだその態度!あ、もしや冗談か?!冗談なんだろう?」
さっきは大声を出したかと思えば、急に猫なで声を出してストンとまたジョージは椅子に腰掛けた。情緒不安定なのかしら。
「冗談ではないわ。それと……先ほどの私の言葉を覚えてる?」
「言葉……?」
「そう。私は『離縁していただきます』と言ったのであって、『離縁して下さい』と言ったわけではないの」
「何の違いが……?」
「貴方の許可を得る必要はないって事。もうこれは決定事項よ。出来ればサインをして欲しかったけど……別に良いわ、貴方のは無くても大丈夫だし」
私は書状を畳むと大切に仕舞った。
「も、もう一度それを見せてくれ!」
ジョージが手を伸ばすのを私は無視した。
「貴方が嫌がるとは思っていなかったわ。でも大切な許可状なので、見せるのは止めておく……嫌な予感がするし」
破かれたら困る。
「嫌に決まっているだろう!僕は絶対に認めない」
「そう。でももう決まった事だから。三年子どもが出来なかった場合、女性の方から離縁を申し出る事が出来る。それは貴方だって知っているでしょう?理解した?私の話はこれで終わりよ」
私が腰を上げると、ジョージは急いで立ち上がって私の肩を押す様にしてまた座らせた。
「待って!話し合おう。子どもなんていずれ出来るさ。キキ……君は誤解してるんだ」
「触らないで。誤解?何を?私を『石女』と呼んだグラディスさんを咎める事もしなかったのに?」
「それは……本当にすまなかった。だけど、僕が愛しているのは君だ。グラディスとの事は……その……」
私は自分の前に立つ男を見上げる。『グラディスとの事は……』と言ったものの何の言い訳も思いつかないのか、黙り込んでしまっている。
ジョージと結婚して三年。三年の絆など意外と脆いものなのだと私は今痛感する。『子どもなんていずれ出来る』か。その軽々しい言葉に私はまた傷ついていた。
私は黙り込むジョージを無視してもう一度立ち上がる。
今度こそ、このサロンを出るチャンスだ。テーブルは溢れたお酒でベタベタしているし、その匂いに気分も悪くなってきた。
「ジョージ今までありがとう。グラディスさんとお幸せにね」
私はそう言って、自分の首からネックレスを外すとテーブルに置いた。
「このネックレスなら、グラディスさんにも良く似合うと思うわ。彼女の赤い髪にも映えるでしょうね」
そう言って私は信じられないものを見るような表情で固まるジョージの横を通り過ぎた。
「ジョージ、お酒が溢れてるわ」
私に言われてハッとしたジョージが、酒のグラスをテーブルに置く。
「ちょっと拭くものを持って来て貰いましょう」
さっき私達の側から離れたメイドに声を掛けようと、私が腰を上げるも、
「そんな事はどうでも良い!今……今、何と言ったんだ?!」
とジョージは目を見開いたまま、私に詰め寄った。目玉がこぼれ落ちそうでちょっと怖い。
「でも……テーブルが……」「そんな場合じゃないだろう!!」
私とジョージの声がほぼ重なる。どうもメイドを呼びに行くことは出来そうにない。
「『離縁してもらいます』とそう言ったわ」
「な……何を馬鹿な!どうして離縁しなければならないんだ!」
「落ち着いてよ、ジョージ。貴方も喜ぶと思ったのに」
「君はさっきから何故そんな落ち着いて……?それに僕が喜ぶ?本当に何を言ってるんだ?」
「私はこうなる事を望んでいるんだもの。落ち着いているに決まっているでしょう?それに私と離縁すれば、貴方はグラディスさんと再婚出来る。二人……いえ三人にとって喜ばしい事でしょう?」
「何故僕がグラディスと……?」
「何故……って。グラディスさんなら貴方の子どもを産んでくれるそうじゃない。いや……もしかするともう二人には子どもが居るのではなくて?」
私の言葉にジョージは顔を青くした。
「それを何処で……?」
「あんな往来で口づけをしたら、嫌でも目に入るわ」
私がにっこりと微笑めば、ジョージはますます顔を青くし、唇を震わせた。
「違う!違う!あれは違うんだ!」
何が違うと言うのだろう?私は首を傾げた。
「違う?私はこの目で見たし、この耳で聞いたわ。何も違わない」
「あ……あれは、その場の雰囲気に飲まれただけだ。それにグラディスの子は僕の子どもではない!」
「あら?そうなの?でも心当たりはあるのよね?」
「それは……あの時の僕はどうかしていたんだ。グラディスが初めては僕が良いと……僕は最初断ったんだ。彼女は今から結婚する身だし……」
「ちょっと待って。私、別に貴方達の情事について詳しく知りたい訳じゃのよ?フフフ」
思わず笑ってしまった。過去を責めたつもりもないのに、ベラベラと。
「そ、そうだが……勘違いされたくない」
「でも、二人で逃げようと思っていたのでしょう?……そうなされば良かったのに」
「違っ……!正直言って、あの時はグラディスに言わされたってのに近くて……」
ジョージがこんなに言い訳ばかりの男だとは思わなかった。私は今まで彼の何処を見ていたのだろう。
「ジョージ……。グラディスさんだけを悪者にするのは良くないわ。私は別に今更二人を責めている訳じゃないの。ただ、信頼出来ない夫は必要ない。それだけよ」
私が淡々とそう言うと、ジョージはバン!とテーブルを叩いて立ち上がった。
「僕は離縁なんてしない!!絶対に!」
大声がサロンに響き渡る。私はそんな彼に、またもや笑いたくなった。
『絶対に!!』と言われたところで私の気持ちが変わる訳もなく……
「ジョージ、座ったら?それとも貴方がメイドを呼びに行ってくれるの?」
テーブルに溢れたお酒が気になって仕方ない。匂いだけで酔いそうだ。……私って意外とお酒に弱かったのかしら。
「君は……っ!何なんだその態度!あ、もしや冗談か?!冗談なんだろう?」
さっきは大声を出したかと思えば、急に猫なで声を出してストンとまたジョージは椅子に腰掛けた。情緒不安定なのかしら。
「冗談ではないわ。それと……先ほどの私の言葉を覚えてる?」
「言葉……?」
「そう。私は『離縁していただきます』と言ったのであって、『離縁して下さい』と言ったわけではないの」
「何の違いが……?」
「貴方の許可を得る必要はないって事。もうこれは決定事項よ。出来ればサインをして欲しかったけど……別に良いわ、貴方のは無くても大丈夫だし」
私は書状を畳むと大切に仕舞った。
「も、もう一度それを見せてくれ!」
ジョージが手を伸ばすのを私は無視した。
「貴方が嫌がるとは思っていなかったわ。でも大切な許可状なので、見せるのは止めておく……嫌な予感がするし」
破かれたら困る。
「嫌に決まっているだろう!僕は絶対に認めない」
「そう。でももう決まった事だから。三年子どもが出来なかった場合、女性の方から離縁を申し出る事が出来る。それは貴方だって知っているでしょう?理解した?私の話はこれで終わりよ」
私が腰を上げると、ジョージは急いで立ち上がって私の肩を押す様にしてまた座らせた。
「待って!話し合おう。子どもなんていずれ出来るさ。キキ……君は誤解してるんだ」
「触らないで。誤解?何を?私を『石女』と呼んだグラディスさんを咎める事もしなかったのに?」
「それは……本当にすまなかった。だけど、僕が愛しているのは君だ。グラディスとの事は……その……」
私は自分の前に立つ男を見上げる。『グラディスとの事は……』と言ったものの何の言い訳も思いつかないのか、黙り込んでしまっている。
ジョージと結婚して三年。三年の絆など意外と脆いものなのだと私は今痛感する。『子どもなんていずれ出来る』か。その軽々しい言葉に私はまた傷ついていた。
私は黙り込むジョージを無視してもう一度立ち上がる。
今度こそ、このサロンを出るチャンスだ。テーブルは溢れたお酒でベタベタしているし、その匂いに気分も悪くなってきた。
「ジョージ今までありがとう。グラディスさんとお幸せにね」
私はそう言って、自分の首からネックレスを外すとテーブルに置いた。
「このネックレスなら、グラディスさんにも良く似合うと思うわ。彼女の赤い髪にも映えるでしょうね」
そう言って私は信じられないものを見るような表情で固まるジョージの横を通り過ぎた。