夫の心に住んでいるのは私以外の女性でした 〜さよならは私からいたしますのでご安心下さい〜

第21話


「お姉様、お腹に赤ちゃんがいるんでしょう?」

そう言ったサミュエルはちょっとだけ膨らんだ私のお腹に耳を当てた。


「フフフ。まだとっても小さいから分からないでしょう?でももう少し経ったらお腹の中で動く赤ちゃんを感じられる様になるわ」

私の言葉にサミュエルは目をキラキラと輝かせた。

「楽しみだなぁ」

嬉しそうに言うサミュエルに、私も同じ様に笑顔になる。
最初は不安だらけだったが、覚悟を決めてしまえば父親が居ない事など些細な事だと思えるようになった。

使用人達は声を揃えて『おめでとうございます』と言ってくれた。そう……これはとても幸せな奇跡だ。そう思える様になれたのも、周りの皆のお陰だ。……彼をはじめとした。




「サミュエル様、家庭教師のハウスホールド先生がお見えですよ」

私の部屋に居たサミュエルを迎えに来たイライジャが顔を覗かせる。

「はぁーい」

サミュエルは名残惜しそうに私の元をメイドと共に去って行った。

それを私とイライジャで見送ると、イライジャに私は言った。

「もうすぐ王都でお世話になったポートリー侯爵夫人のお誕生日なの。いつも盛大にお誕生会を開くのだけど、今年はお祝いに行けないから何か贈り物だけでも、と思ってるのだけど」

王都ではラサネン商会を使っていたが、ここではどこに頼むのが良いのだろう。ついつい全てをイライジャに頼り切ってしまう自分に苦笑する。

「そうですね……この領地にも商会はありますが……実は私の知り合いの商人がこの国に来ているのですが……会ってみますか?」

「イライジャの知り合い?」

「一応。私が隣国の商会で働いていた事はご存知ですか?」

私はイライジャが命を落としかけた事を思い出して、顔を曇らせた。

「詳しくは聞いていないけど……大変だったって……」

「まぁ。その節は本当に旦那様にお世話になりました。実はその商会で働いていた時に知り合った方ですが、何度も私をスカウトしていた男でして」

「スカウト?ならばその商会に行けば良かったのに……だって物凄く劣悪な環境だったって聞いたわ」

「確かに。しかしその男の下で働くのも、間違いなく過酷な労働環境になっていただろうと推測します。……守銭奴の様な男ですから。しかし、物の価値を見極める目は確かです。ある意味その点では天才と言っても良い」

そこまで聞いて私は少しだけ興味を持った。

「確かに見る目はあるのでしょうね。貴方をスカウトするぐらいですもの」

私の言葉に、イライジャはほんの少しだけ照れた様に口を動かした。



「お初にお目にかかります。マシュー・サマルと申します。以後お見知り置きを」

流行りのスーツに身を包んだシルバーブロンドの男は私に爽やかな笑顔を見せた。
……しかし、なんだろう……目が笑っていない様に見えて何だか怖い。それに一瞬にして私を上から下まで品定めでもする様に一瞥したその釣り上がった瞳も抜け目ない印象だ。
それと同時に私は彼の名前に聞き覚えがあった。
……でも誰だっけ?

「はじめまして、キルステン・アンドレイニです」

私が手を差し出すと、彼は両方の手で私のその手を包みこんだ。

「いや~この国にはこんな美しいご当主がいらっしゃるとは、羨ましい限りです。我がサマル商会では……」
そこまで聞いて私は思わず、

「サマル商会!!では……貴方はサマル伯爵様で……?」
と声を上げていた。

「お!この国にまで我がサマル商会の名が知れ渡っているとは……!なんとありがたい事でしょう。……と言うよりサマル伯爵の名前の方が有名ですかね?『成金伯爵』として」

「い……いえ。そんな事では……」

ニヤリと笑うサマル伯爵は私の反応を楽しんでいる様だった。

「いいんですよ、本当の事ですから。それに、ある意味それが宣伝になっている。私としては無視をされるより、そうやって気にかけて貰った方がありがたいんです。たとえそれが『嫌悪』という感情であっても無関心よりはずっと良い」

彼は言い慣れている様に流暢に言葉を発した。きっと、何度も何度もこう言っているのだろう。

そして、私がサマル伯爵を覚えていたのは、成金伯爵として……ではない。そう彼はグラディスさんの……。

「確かに、無関心ほど恐ろしいものはありませんものね。『好き』の反対は『無関心』だと言いますし。でも、成金をそう卑下しなくても良いのでは?お金を稼ぐ……それも才能です」

私の言葉にサマル伯爵はほんの少し眉をピクリと上げた。さっきまでの胡散臭い笑顔よりよっぽど良い。

「ほう……。私は成金を卑下したつもりはなかったのですが……?」

「そうですか?先ほどのお話……まるで言葉の鎧を纏っている様でしたわ。そう警戒なさらなくても……。
私、大切な友人にお誕生日の贈り物をしたいだけなのです。イライジャが貴方は物の価値の分る方だと。さて……何をお勧めして下さいますの?」

「……参りましたね。いつもいつも『金で爵位を買った卑しい者』と言われ続けておりましたので、つい……。では、手始めにそのご友人の事をお伺いしてもよろしいですか?消費者が一番欲しいものを提供する。それが一流の商人ですから」

そう言ったサマル伯爵の笑顔は、ほんの少し柔らかく見えた。





「フフフ。良いものが買えたわ。ポートリー夫人は茶器にこだわりが強いのだけど、あれなら喜んでくれるはずよ。お手紙も同封したし……イライジャ、ありがとう」

サマル伯爵はポートリー夫人にぴったりの贈り物を見つけ出してくれた。流石、サマル商会だ。少々値は張ったが、足を運べない私にはお詫びの意味も兼ねていた。離縁を誰にも言わず王都を離れた。その非礼のお詫びだ。

「?私はお礼を言われる様な事をした覚えは……」

「この国にはない細工だったわ。サマル商会でなければ手に入らなかったでしょう。だからお礼を言うのは当たり前よ」

イライジャは指で頬を掻きながら、

「しかし……。私はあの男が微笑んでいるのを初めて見た気がします」

「うーん。確かに最初の笑顔は仮面の様だったものね」

「皮肉屋な所はありますが、あんな風に顧客と話しているのを見たのも初めてでした」

「そう?でもとても話しやすい方だったわ」

私の言葉に、イライジャは少し言いにくそうに言葉を続ける。

「キルステン様……彼とは初めて会ったのですか?」

「ええ、会うのは初めてよ。サマル伯爵……いえ、前伯爵様の噂は耳にしていたけれど、その方とも会った事はないの。でも……どうして?」

「いえ……。彼から商会の名を聞いた時、ほんの少しですが表情が強張った様に思いましたので」

イライジャに隠し事をするのって……もしかして不可能なのかしら?
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