夫の心に住んでいるのは私以外の女性でした 〜さよならは私からいたしますのでご安心下さい〜
第22話
「言いたくない事なら無理には……」
「いえ……別にそういう理由《ワケ》ではないのだけれど、あまり楽しい話ではないから」
「ではやはり聞くのは止めておきましょう。ストレスは身体に良くありません」
「なら……ちょっとした愚痴を聞いてくれるかしら?」
私がそう言うとイライジャは少し戸惑った様な顔をした。
私は執務室に戻り、シンプルながらも質の良い長椅子に腰掛けた。
「イライジャも座ったら?」
私が自分の向かい側を指し示すも、
「いえ。私はこちらで」
と私から程よい距離を保って背筋を伸ばしたまま立っていた。イライジャらしい。
「そんなに畏まらなくても良いのに」
私はクスリと笑うと、そのままの軽い調子で話し始めた。
「ジョージには元々幼馴染の婚約者が居てね。でもその婚約者のご実家の負債の為に、その女性は他の方と結婚しなければならなくなった」
「借金の肩代わりの条件ですか?」
イライジャは直ぐに察したのか、そう私に尋ねた。
「そうみたいね」
「よくある話です」
「確かに。そこまで珍しい話ではないけれど、ジョージとその女性にとっては大問題だったの。お互いがお互いをとても大切に思っていたから」
私がそこまで言うと、イライジャの眉間に一瞬皺が寄ったのを私は見逃さなかった。最近はほんの少しだけれど、イライジャの表情に変化を見て取れる様になった。
イライジャも普通の人間なのだとちょっぴり安心する瞬間だ。
「もしや……その女性はグラディス・サマルですか?」
「あら?イライジャは彼女を知っているの?」
そう口に出してから、イライジャが隣国でサマル伯爵と顔見知りであった事を改めて思い出した。知っていても不思議ではない。
「はい……。先ほどのマシュー様にお話は聞いておりましたし、実際にも何度か。私が働いていた商会に顔を出した事もありましたので」
今度はイライジャの眉間の皺は一瞬では消えることはなかった。何だか不機嫌そう。
「じゃあそのグラディスさんが、前サマル伯爵が亡くなった後、離縁した事も知っていたの?」
「いえ……。私がこちらに来たのが半年……いやもう八カ月程前になります。その時には……まだ揉めていた様に記憶しております」
「揉めていた?」
「はい。これはマシュー様から聞いたお話になりますが、前サマル伯爵がお亡くなりになった後、マシュー様はグラディス・サマルを追い出すつもりでおりました」
「追い出す……?」
「はい。そのグラディス・サマルはとても金遣いが荒く、派手好きで。
元々サマル伯爵は『成金』と揶揄されている中、グラディスの振る舞いは貴族間でもあまり良くは思われておりませんでした。まぁ、はっきり言うと『鼻つまみ者』という事です。
先ほどのマシュー様の物言いでも分る様に、元々サマル伯爵家自体がプライドの高い貴族達からは煙たがられておりましたので、マシュー様曰く『グラディスのお陰ですっかり嫌われ者になった』という事でした」
「だから、前伯爵の没後に離縁させて追い出そうとしたって事?」
「そのようですが、グラディスはそれを嫌がっていたという話です」
「嫌がっていた?私が聞いていた話と違うわ。グラディスさん自身が離縁を望んだって……」
「いえ。少なくとも私が隣国から離れる時までは揉めている状態でした。マシュー様は幼い腹違いの妹を守るため、根気よく話合いをされておりましたから」
私はそこでグラディスさんが引き離されたと言っていた子どもの事を思い出した。
「守る?」
「はい。彼女は子どもにも無関心で。当然マシュー様は子どもはサマル家の子どもだからと引き取る事を考えておりました。その方がその子のためにも良いと。正直グラディスに任せる事は妹の不幸に繋がると、本気で考えておりましたから」
イライジャから語られる事実がパメラから聞いていた話と違いすぎて、私は正直、混乱していた。
「納得出来ない……といった表情ですね」
「納得出来ないと言うか……あまりに私が聞いていた話と違うから。グラディスさんは義息子さん……マシュー様の事ね、彼に虐げられた上に、子どもとも泣く泣く引き離されたと。
傷心の末にこの国に戻って来たけれど、実家のワッツ伯爵家にも居場所がないからとお一人で王都に屋敷を構えたと言っていたの」
「それこそおかしな話ですね。私もマシュー様のお話しか聞いておりませんが、彼女は自分の子どもに値段をつけた。娘が欲しければ自分の言い値で金を出せとね。マシュー様はまるで人身売買だと悩んでおられましたよ。離縁も元々は渋っていたそうです。
私はその直後、旦那様に助けられて入院したり、出国の手続きをしたりと忙しくて……その後の話を聞く機会もなく、此処で働き始めたのですが」
「何だか正反対の話ね」
「本当にそうですね。だからキルステン様はサマル商会の名前に反応を」
「そうなの。こんな偶然もあるのね。しかもこんなタイミングで」
私が苦笑すると、イライジャは眉を顰めて、
「離縁の理由を詳しく訊くつもりはありませんが、私はガーフィールド伯爵を一生許さないと今、心に誓いました」
勘の良いイライジャは私が全てを話さなくても、私達の離縁理由を察したのかもしれない。
「フフフ。もう私は気にしていないのよ?」
「それでも私は許しません」
イライジャの表情はあまり変わらないが、それでも私は嬉しくなった。自分の事で自分よりも怒ってくれる人がいる。それだけで心がフッと軽くなる様だった。
「イライジャ、他の人に頼むから良いのよ」
「いえ。仕事は一段落しましたので」
今日はサミュエルにせがまれて、乗馬を教えることになったのだが、体調が良くなったとはいえ、身籠っている私は馬に乗る事は出来ない。
しかしうちには御者も厩舎の使用人もいる。馬に乗れる者はたくさん居るのだ。わざわざ忙しいイライジャがサミュエルに教える必要はないのだが……
「せっかくなら、少し休んだら?貴方働き詰めでしょう?」
「ならばここは私に任せてキルステン様の方がお休みになっていてください。最近やっと食欲も戻った様ですが、まだまだ油断は出来ませんから」
「でもサミュエルと約束したのは私だわ」
「でもですね……!」
「もう!どっちでもいいから、早く教えてよー!」
私達の言い争いに、待ちくたびれたサミュエルが抗議の声を上げた。
結局はお互いに折れなかったものだから、イライジャがサミュエルと同乗して教えて、私はそれを端から見守るという事で落ち着いたのだった。