夫の心に住んでいるのは私以外の女性でした 〜さよならは私からいたしますのでご安心下さい〜
第24話
「ただいま戻りました」
夕方、サマル伯爵とイライジャは屋敷に戻って来た。
「イライジャ……どうしてビショビショに?」
私のその問いに、サマル伯爵が代わりに答えた。
「帰ろうとしていたその時にですね、ある家の前を通ったら、丁度男性が飛び出してきまして。多分、夫婦喧嘩の最中だったんでしょうなぁ、怒った奥方がバケツで水を旦那にぶっかけようとしたんでしょう。
しかし飛び出した旦那はイライジャにぶつかって尻もちを搗いた所に、奥方が水を思いっきり。そのせいで全てをイライジャが引き受けたという訳です。お二人とも必死で謝っていらっしゃいましたが、イライジャはご覧の通りです」
「まぁ……!イライジャ直ぐに着替えなきゃ!風邪を引いてしまうわ」
「はぁ……。では失礼して……」
水に濡れたイライジャの髪は、癖が酷くなっていた。シャツは濡れて色が変わっている。余程そこの奥様は怒りが凄まじかったのだろう。水の量に怒りの程度が表れている様だった。
イライジャが去った部屋で、サマル伯爵は私に向き直ると、
「何故イライジャを私に任せたのです?彼に内緒にしなければならない事でも?」
と私に微笑んだ。
「いえ、そんな事ではありませんわ。ただイライジャが休暇を楽しんでくれないので。たまには仕事の事を忘れてゆっくりとして欲しかっただけなのです。
サマル伯爵ならば昔からイライジャを知っていますし、商売柄、そういう事に長けているのではないかと。実は私……イライジャの事をあまりよく知らない事に気付きましたの。サマル伯爵しか思い当たる方がいなくて……無理を言って申し訳ありませんでした。このお礼は改めて……」
「お礼なんて結構ですよ!実はダンテのお店の内装に合うテーブルセットを我が商会で新しく買い揃えていただける事になりましたのでね。美味しい料理も食べる事が出来て、その上契約も取り付けました。一石二鳥ですよ」
「まぁ……流石サマル伯爵様ですわ。商売上手ですこと」
「この領地はとても魅力的だ。実はこの国に商会の支店を出そうと思って、下調べに来たんです。今は王都より、先ずはこのアンドレイニ伯爵領に店を構えられれば……と考えていますよ。
それより。イライジャは幸せ者だ。こんな素敵な雇い主の元で仕事が出来るのですから」
「……どうでしょうか?なんとか当主としての面目が保たれていれば良いのですが……」
「……お父上の事は本当に残念に思います。突然の事で貴女も大変な思いをしたでしょう」
「別れは突然でしたが、泣いてばかりはいられませんし。でも、こんな私が何とかそれなりにやれているのもイライジャのお陰です」
「彼は……とても変わりましたね」
「そう……ですか?」
「雰囲気が柔らかくなりましたよ。昔は、ずっと毛を逆立てて怒っている猫の様でした。うちの妹なんかは、イライジャの顔を見て泣いた程です」
「まぁ!そんなに?」
「世の中の全てを憎んでいるように見えました。彼も色々とあった様ですし……」
ここでサマル伯爵にイライジャの過去を尋ねるのは、何か違う気がして私は話題を変えた。
「妹君はどんなお子様でいらっしゃいますの?」
「歳が離れていますからね。私と顔が似ている事も相まって、いつも親子に間違われます。私は独身なんですが」
とサマル伯爵は苦笑した。
「サマル伯爵様に似ていらっしゃいますの?」
「ええ。私も妹も父に似てしまって……。せめてこのキツネの様な吊り目だけは似て欲しくなかったのてすが、仕方ありませんね」
そう言いながらもサマル伯爵は嬉しそうだった。
「可愛くて仕方ないんですのね」
「そうですね。メリッサには両親が居ませんから、私がその分愛情を注がなければ」
サマル伯爵の心の中をほんの少しだけ覗いた気分だった。
そしてそれと同時にサマル伯爵の妹……メリッサ様がジョージの子どもではなかった事に、私は何故か複雑な気分になった。
サマル伯爵とは夕食を共にして、別れた。
彼のお陰でイライジャも少しだけ仕事の事を考えない時間が出来たのではないかと思うのだが。
夜になり窓の外を眺めると、綺麗な月が見えた。
「何だか今日は月が近く感じるわ」
青白い光に導かれる様に、私は庭に出た。
たまには、夜の散歩も良いだろう。月を眺めながら、少し庭を散歩する。この庭は母の寝室からよく見える。父が母のために作った庭だ。
すると、背後から私の肩にストールを乗せる手があった。
「イライジャ?」
「夜はまだ冷えます」
私は振り返りながら、乗せられたストールで肩を包んだ。
「どうしたの?」
「部屋の窓から、キルステン様が見えたので」
「心配?」
「風邪をひいては大変です」
「そう言えば、イライジャは大丈夫?ずぶ濡れだったけど」
私は濡れ鼠になっていたイライジャの姿を思い出してフッと笑った。
「この国に来てから、健康状態は頗る良いので大丈夫ですよ。それより……これ」
イライジャは小さな箱を私に差し出した。
「これは?」
「サマル伯爵と出掛けた先で見つけたんです。キルステン様の瞳の色にとても良く似ていたので」
私が箱を開けると、そこには少し淡い赤色の宝石の付いたイヤリングが入っていた。
「これは?」
「イヤリングです」
「それは見たら分るのよ。どうしたの?」
「キルステン様の瞳の色に良く似ているな……と」
それもさっき聞いた。私が訊きたいのは『これはプレゼントなのか?そして何故これを買ったのか?』という事なのだが……。
「これ……私に?」
「それを私が着けると思いますか?」
イライジャがこの可愛らしい苺の様な宝石のイヤリングを着けた姿を想像して、笑ってしまう。
「フフフフ。ちょっと見てみたい気もするけど。じゃあ私の為に買ってくれたの?」
「……一応そのつもりです」
『一応』って何だろう?
「どうして?」
「キルステン様の瞳の色に……」
「ストップ!それはさっきも聞いたわ。そうじゃなくて……どういうつもりで買ったのかなって」
「迷惑でしたか?すみません」
私の手からその小箱を取り上げようとするイライジャを避けて、私はそのイヤリングの箱を自分の掌で包んだ。
「迷惑なんかじゃないんだけど、別に誕生日でもないし……」
「特別な日じゃなければ、贈り物はしてはいけないと?」
何だろう……仕事の時は私の言いたい事を言わなくとも理解してくれるイライジャなのに、今日のイライジャとは何故か会話が通じない。
「突然の贈り物で驚いてしまっただけよ。でも凄く綺麗ね。小さな赤いたくさんの粒が石の中に閉じ込められているのね。初めて見たわ」
「ストロベリークォーツという石だそうです。あの……そんな高くないんですが」
「値段じゃないわ」
私はそのイヤリングを耳に着けて見せた。
「どう?似合うかしら?」
「…………似合います」
イライジャがそう言いながら顔を背けた。
「ちょっと!ちゃんと見てるの?」
「み、見てます!ちゃんと見ました!お似合いです!」
顔を背けたイライジャは、必死に弁解する。ふと見ると、イライジャの耳は赤くなっていた。
夕方、サマル伯爵とイライジャは屋敷に戻って来た。
「イライジャ……どうしてビショビショに?」
私のその問いに、サマル伯爵が代わりに答えた。
「帰ろうとしていたその時にですね、ある家の前を通ったら、丁度男性が飛び出してきまして。多分、夫婦喧嘩の最中だったんでしょうなぁ、怒った奥方がバケツで水を旦那にぶっかけようとしたんでしょう。
しかし飛び出した旦那はイライジャにぶつかって尻もちを搗いた所に、奥方が水を思いっきり。そのせいで全てをイライジャが引き受けたという訳です。お二人とも必死で謝っていらっしゃいましたが、イライジャはご覧の通りです」
「まぁ……!イライジャ直ぐに着替えなきゃ!風邪を引いてしまうわ」
「はぁ……。では失礼して……」
水に濡れたイライジャの髪は、癖が酷くなっていた。シャツは濡れて色が変わっている。余程そこの奥様は怒りが凄まじかったのだろう。水の量に怒りの程度が表れている様だった。
イライジャが去った部屋で、サマル伯爵は私に向き直ると、
「何故イライジャを私に任せたのです?彼に内緒にしなければならない事でも?」
と私に微笑んだ。
「いえ、そんな事ではありませんわ。ただイライジャが休暇を楽しんでくれないので。たまには仕事の事を忘れてゆっくりとして欲しかっただけなのです。
サマル伯爵ならば昔からイライジャを知っていますし、商売柄、そういう事に長けているのではないかと。実は私……イライジャの事をあまりよく知らない事に気付きましたの。サマル伯爵しか思い当たる方がいなくて……無理を言って申し訳ありませんでした。このお礼は改めて……」
「お礼なんて結構ですよ!実はダンテのお店の内装に合うテーブルセットを我が商会で新しく買い揃えていただける事になりましたのでね。美味しい料理も食べる事が出来て、その上契約も取り付けました。一石二鳥ですよ」
「まぁ……流石サマル伯爵様ですわ。商売上手ですこと」
「この領地はとても魅力的だ。実はこの国に商会の支店を出そうと思って、下調べに来たんです。今は王都より、先ずはこのアンドレイニ伯爵領に店を構えられれば……と考えていますよ。
それより。イライジャは幸せ者だ。こんな素敵な雇い主の元で仕事が出来るのですから」
「……どうでしょうか?なんとか当主としての面目が保たれていれば良いのですが……」
「……お父上の事は本当に残念に思います。突然の事で貴女も大変な思いをしたでしょう」
「別れは突然でしたが、泣いてばかりはいられませんし。でも、こんな私が何とかそれなりにやれているのもイライジャのお陰です」
「彼は……とても変わりましたね」
「そう……ですか?」
「雰囲気が柔らかくなりましたよ。昔は、ずっと毛を逆立てて怒っている猫の様でした。うちの妹なんかは、イライジャの顔を見て泣いた程です」
「まぁ!そんなに?」
「世の中の全てを憎んでいるように見えました。彼も色々とあった様ですし……」
ここでサマル伯爵にイライジャの過去を尋ねるのは、何か違う気がして私は話題を変えた。
「妹君はどんなお子様でいらっしゃいますの?」
「歳が離れていますからね。私と顔が似ている事も相まって、いつも親子に間違われます。私は独身なんですが」
とサマル伯爵は苦笑した。
「サマル伯爵様に似ていらっしゃいますの?」
「ええ。私も妹も父に似てしまって……。せめてこのキツネの様な吊り目だけは似て欲しくなかったのてすが、仕方ありませんね」
そう言いながらもサマル伯爵は嬉しそうだった。
「可愛くて仕方ないんですのね」
「そうですね。メリッサには両親が居ませんから、私がその分愛情を注がなければ」
サマル伯爵の心の中をほんの少しだけ覗いた気分だった。
そしてそれと同時にサマル伯爵の妹……メリッサ様がジョージの子どもではなかった事に、私は何故か複雑な気分になった。
サマル伯爵とは夕食を共にして、別れた。
彼のお陰でイライジャも少しだけ仕事の事を考えない時間が出来たのではないかと思うのだが。
夜になり窓の外を眺めると、綺麗な月が見えた。
「何だか今日は月が近く感じるわ」
青白い光に導かれる様に、私は庭に出た。
たまには、夜の散歩も良いだろう。月を眺めながら、少し庭を散歩する。この庭は母の寝室からよく見える。父が母のために作った庭だ。
すると、背後から私の肩にストールを乗せる手があった。
「イライジャ?」
「夜はまだ冷えます」
私は振り返りながら、乗せられたストールで肩を包んだ。
「どうしたの?」
「部屋の窓から、キルステン様が見えたので」
「心配?」
「風邪をひいては大変です」
「そう言えば、イライジャは大丈夫?ずぶ濡れだったけど」
私は濡れ鼠になっていたイライジャの姿を思い出してフッと笑った。
「この国に来てから、健康状態は頗る良いので大丈夫ですよ。それより……これ」
イライジャは小さな箱を私に差し出した。
「これは?」
「サマル伯爵と出掛けた先で見つけたんです。キルステン様の瞳の色にとても良く似ていたので」
私が箱を開けると、そこには少し淡い赤色の宝石の付いたイヤリングが入っていた。
「これは?」
「イヤリングです」
「それは見たら分るのよ。どうしたの?」
「キルステン様の瞳の色に良く似ているな……と」
それもさっき聞いた。私が訊きたいのは『これはプレゼントなのか?そして何故これを買ったのか?』という事なのだが……。
「これ……私に?」
「それを私が着けると思いますか?」
イライジャがこの可愛らしい苺の様な宝石のイヤリングを着けた姿を想像して、笑ってしまう。
「フフフフ。ちょっと見てみたい気もするけど。じゃあ私の為に買ってくれたの?」
「……一応そのつもりです」
『一応』って何だろう?
「どうして?」
「キルステン様の瞳の色に……」
「ストップ!それはさっきも聞いたわ。そうじゃなくて……どういうつもりで買ったのかなって」
「迷惑でしたか?すみません」
私の手からその小箱を取り上げようとするイライジャを避けて、私はそのイヤリングの箱を自分の掌で包んだ。
「迷惑なんかじゃないんだけど、別に誕生日でもないし……」
「特別な日じゃなければ、贈り物はしてはいけないと?」
何だろう……仕事の時は私の言いたい事を言わなくとも理解してくれるイライジャなのに、今日のイライジャとは何故か会話が通じない。
「突然の贈り物で驚いてしまっただけよ。でも凄く綺麗ね。小さな赤いたくさんの粒が石の中に閉じ込められているのね。初めて見たわ」
「ストロベリークォーツという石だそうです。あの……そんな高くないんですが」
「値段じゃないわ」
私はそのイヤリングを耳に着けて見せた。
「どう?似合うかしら?」
「…………似合います」
イライジャがそう言いながら顔を背けた。
「ちょっと!ちゃんと見てるの?」
「み、見てます!ちゃんと見ました!お似合いです!」
顔を背けたイライジャは、必死に弁解する。ふと見ると、イライジャの耳は赤くなっていた。