夫の心に住んでいるのは私以外の女性でした 〜さよならは私からいたしますのでご安心下さい〜

第25話


休暇の三日間を終えたイライジャは、晴れ晴れとした顔で仕事に復帰した。

「やっと仕事に戻れます」

「普通は逆なのよ?」


書類を捲る手を休めて私は、早速といった風に今日のスケジュールを確認しているイライジャに言った。

「昨日は結局、三冊本を読みました」

「貴方って本当に仕事が好きなのね」

私が少し呆れた様に言うと、イライジャは少し考えてから言った。

「仕事をしない私に、価値はありませんから」

自分を卑下する物言いに、私は思わず眉根を寄せた。

「なんて事を言うの?貴方の価値はそれだけじゃないわ」

「そうでしょうか?じゃあ他に何がありますか?」

まるでイライジャは私がおかしな事を言っていると思っているのか、本心から不思議だという様に私に尋ねた。

「もちろん、私がここでこうして頑張れているのは、貴方のサポートのお陰。でもね、それ以上に……私の妊娠が分かった時、イライジャが不安な心を取り除いてくれた事に本当に感謝してるの。この子を一人でも立派に育てていこう……そう決心出来たのは貴方の言葉と存在のお陰だわ」

私のその言葉に何故かイライジャは少しだけ驚いた様な表情をした。

「私は……キルステン様のお役に立てていますか?」

「当たり前じゃない。逆に私の方がイライジャの足を引っ張っているんじゃないかと思う時が多いのに」

イライジャが一歩私の方へと近づく。

「ならばもっと私を頼って下さい。どうして貴女はいつも自分だけで何とかしようと思うのです?」


「それは……なるべく早く独り立ちしないと、と思って」

父の仕事を継いでみて、本当に父は仕事の出来る人だったのだと気付いた。私達家族の前では豪快で朗らかな人だったのに、影でこれだけの量の仕事を熟していたのだと思うと尊敬せずにはいられない。
父の代わりを務める……そのプレッシャーは私に焦りを与えていた。少しでも父に近付きたい。それにはイライジャの手を借りてばかりはいられないとそう考えてしまって、ついついイライジャに頼る事を避けている自分がいた。

仕事に対して厳しいイライジャに、甘えは許されない……そう思っていた。

「私は貴女の執事です。キルステン様、領地経営は一人では出来ません。特にこのアンドレイニ伯爵領はこれから大きく変わっていく、その途中です」

そこまで言うとイライジャはまた一歩私に近寄ると、机の上に置いていた。私の手を握った。

「お願いです。私をもっと頼って下さい。私は貴女の役に立ちたいんです。一人で頑張り過ぎないと誓って下さい」

私はその言葉より、イライジャに手を握られた事に驚き……そしてドキドキしていた。
思わず私は握られた手を見つめる。すると、

「あ!!すみません!!なんて事を!」
とイライジャが慌てて私の手を離す。そして、

「ちょ、ちょっと、あの……その……あ!し、資料を!資料を取って来ます!」

とイライジャは急いで、執務室を出て行こうとするのだが、

『ガン!』
「痛っ!」

思いっきり椅子に足をぶつけたかと思うと、その足をぴょこぴょこしながら、扉を開けて出て行った。

そんなイライジャの背中を見ながら、私は彼に握られていた手を自分の手でもう一度握りしめた。
この手が熱いのはイライジャの温もりが私に移ったからなのか……それともこのドキドキのせいなのか……今の私には分からなかった。



何となくイライジャの顔を見ると、恥ずかしくなってしまう日々が続いていたが、毎日の忙しさにそれもいつの間にか紛れてしまった。

「今日の面会は、二件。それと学校で雇う教師の面接があります」

「今の所、どれくらいの人数の応募が来てるのかしら?」

「えっと……十七人ですね。この中から採用するのは今はせいぜい七、八人といったところでしょうか?」

「随分と志願者が多いのね。王都ならいざ知らず……」

「病院の評判が評判を呼びましてね。それが功を奏している様です」

「ありがたい事だわ」


私もあれからずっとその病院に勤めているレジーナの往診を受けているが、レジーナからも何度も礼を言われていた。




『伯爵のお陰でやりたかった研究が出来ています。未だ出産で命を亡くす女性が後を絶ちません。私はそれを一人でも少なくしたい』

『それは立派な心がけね。こうして私の様な貴族は手厚い医療を受けられる。でも平民は?私は王族ではないから国民全員を!なんて大きな事は考えていないけれど、せめてこの領地の領民が安心で安全な医療を受けられる……それが私の望みだわ。
それに貴女達がいつかその技術をこの国の為に、と考えるなら、私は全力でサポートするから、その時には遠慮なく言ってね』


『……私は男爵の家に生まれました。お陰で一応高等教育を受ける事が出来ましたが、きっと平民の中にもそういった才能があるにも関わらず、それに気づかぬまま一生を終える者は少なくないと思います。もう少しでこの領に学校が出来ると聞きました。一人でも多くの才能を発掘出来る良い機会になればと、期待しています』

『私もよ』

『ところで、お腹のお子様は順調に育っておいでの様です。何かご心配な事、ご不安な事はございませんか?』


『今の所は大丈夫よ。最近胎動を感じる様になったわ』


『それも順調な証拠ですね。さて私はイライジャさんに今日の結果を報告してきますね』

『私が理解しているのだから、別にイライジャにいちいち報告する事はないのに……』

忙しいレジーナとイライジャの事を思い省略出来る部分は省略すれば良いと思い私はそう告げた。しかし、

『イライジャさんに叱られてしまいます。伯爵の身に何かあったら……ブルッ!想像しただけでも恐ろしい』
とレジーナはわざとらしく体を震わせた。





「キルステン様?」

イライジャの声に我に返る。

「……ヘッ?ああ、ごめんなさい」

レジーナの話を思い出した私はイライジャの顔をじっと見る。

「……?私の顔に何かついていますか?」

イライジャは不思議そうな顔で、自分の頬を擦る。

……そう言えばイライジャってこんなに気持ちを表情に出していたかしら?

私は未だ不思議そうにしているイライジャを改めてじっくりと見た。
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