夫の心に住んでいるのは私以外の女性でした 〜さよならは私からいたしますのでご安心下さい〜

第26話

此処に来た当初。いや、父の葬儀でイライジャに初めて会った時は、綺麗な顔立ちと相まって、冷たい印象を持っていた。冷たいというか、感情が読めないというか。いつも淡々とやるべき事をこなす。それがイライジャという男の私の印象だった。


しかし今では、私の言葉に照れたり、不機嫌になったり、喜んだり、困ったり……といっても僅かな違いなのだが、それでも私には彼の気持ちを推し量る事が出来て、それはそれで助かっている。
完璧である事は間違いないのだが、偶に動揺する素振があったりと、とても人間臭くなった様に思う。





「イライジャ?相変わらず無表情ですし、仕事に厳しいですよ」

私は部屋の掃除をしてくれているメイドにイライジャの変化を尋ねると、彼女は意外そうに答えた。

「そう?」

「そうですね。まぁ、イライジャの場合は彼自身、自分にも厳しいですし、言っている事は間違っていないので納得しかないんですけど。でもあの少し冷たい目で『キッ』と睨まれると、心が縮こまります」

メイドは窓を拭きながらそう苦笑いした。

「あぁ、そう言えば。子ども部屋にまた荷物が届いておりました」

「サマル伯爵ね。ありがたいけれど、このままだと部屋に入りきれなくなるんじゃないかしら?」

サマル伯爵は日に日に大きくなる私のお腹に、妊娠を悟った。しかし彼は多くを私に尋ねることも、事情を探ろうとする事もなく、自国に戻った後も、赤ちゃん用品をちょこちょこと贈ってくれているのだが、流石に申し訳なくなってきてしまった。

「お礼の手紙を書かなきゃね。じゃあ、品物が何だったのか見に行って来るわ」

私が自室の隣に設えた子ども部屋に向かうと、既にそこにはイライジャが待っていた。


「イライジャ、贈り物を開けてみてくれる?」

イライジャは私がそう言うと、テキパキと包みを開けた。

「子ども服ですね。……しかしまだ生まれてもいないのに、これは少し気が早すぎではないでしょうかね」 

イライジャはそう言いながら、ちょっと不機嫌そうだ。

「確かにこれだとまだ数年は出番がなさそうね。でも子どもの成長はアッと言う間だと言うし、大切に使わせて貰いましょう。でも……こんなにたくさんの贈り物、流石に申し訳ないわ。やんわりとこれ以上は遠慮しておかなければ」

と、私は部屋をぐるりと見て言った。この部屋の半分はサマル伯爵からの贈り物で出来ていると言っても過言ではない。

「やんわりではなく、はっきりと言った方が良いですよ」

「そんな。良かれと思ってくださっているのに……」

「彼にははっきりと断らなければ伝わりませんよ」

やはりイライジャは少し不機嫌そうだ。

「イライジャ、何か気に入らない事でも?」

「別に気に入らない訳ではありませんが……彼は独身ですので」

「???それがどうかしたの?」

「贈り物でキルステン様の気を引こうとしているのが、見え見えです。キルステン様、彼は物凄いプレイボーイでしてね。泣かせた女は数知れずです……紹介しなければ良かった……」

イライジャはそう言って顔を僅かに顰めたを

「サマル伯爵はわが領の鉱物にも興味がお有りの様だったから、私と良い関係を保ちたいのでしょう。大丈夫、私はこの事があるからと、サマル伯爵を優遇する様な事はしないわ。取引きをする時には公平な目でちゃんと判断するから安心して?」

「私が言っているのはそういう意味ではありません。……平たい言葉で言うと『狙っている』と言っているのです」

「鉱物を?」

「キルステン様自身を、です!」

イライジャか強調した。

「まさか。妊婦の気を引いてどうするというの」

私が笑いながらそう言うと、

「キルステン様はもう少し男の下心を学んだ方が良いです」

と何故か私は不機嫌なイライジャに諭されてしまったのだった。










「キルステン様」

私に腕を差し出すイライジャ。

「一人で歩けるわよ」

「ダメです。足元が見えないじゃないですか」


今日はいよいよ平民向けの学校の開校式だ。
父が基礎を作ってくれていたお陰で、私がやるべき事はきっと僅かだっただろうが、父の願いがこうしてまた一つ形になった事に、私は感無量だった。

産み月となり、大きくせり出したお腹の私に、イライジャは過保護だ。
腕を差し出したまま、一歩も譲らないイライジャに、私は諦めてその腕を取った。



「アンドレイニ伯爵。ようこそおいで下さいました」
この学校の校長に出迎えられた私はにこやかに挨拶した。

「この日を迎えられて嬉しく思います。これから、この学校をよろしく頼みますね」

この学校の理事長は私だが、学校運営が上手くいくかどうかはこの校長の肩に掛かっている。彼は父が選んだ人物だが、私も幾度となく面会して彼の為人は理解したつもりだ。

「この領の皆に教育のチャンスが与えられた事がきっといつか実を結ぶ日が来るでしょう。そしてこの領地がこの国のモデルケースとなる……私はそう信じています」

「私はこの国を変えようなんて大それた事は思っていませんわ。でもこのアンドレイニ伯爵領の領民の笑顔が増える。その為のきっかけになればと……それを願っています」

「間違いなく、アンドレイニ伯爵様のその願いは叶いますよ。さぁ、式典の準備は出来ております。ではこちらへ」

私達は校長の後に続き、式典の行われる講堂へと入っていく。

私の妊娠を知らない人々もいる。大きなお腹を見て、数人がコソコソと話をしているのが見えた。そんな私にイライジャが小さく声を掛ける。

「笑顔で堂々と」

「分かっているわ。大丈夫よ」

私はイライジャのその声に応える様に真っ直ぐ前を向き、イライジャの腕を離す。
笑顔で校長の横に立つ私からイライジャは少し離れた後方へと移動した。

離縁して領地に戻り、その上大きなお腹の私は今までも色々と噂される事があった。言いたい人には言わせておけば良い。私がこの領地の為に実績を残せば、文句を言う人はいなくなるだろう。

今思えば、私も随分と強くなったものだ。
ジョージに裏切られ、父を亡くし、アンドレイニ伯爵になったかと思えば、妊娠が発覚した。
この数ヶ月の目まぐるしい変化に、何度となく自信を無くしたのも事実だが、その度にイライジャが私を支えてくれた。

理事長である私と校長との挨拶が終わり、式典は滞りなく進んでいく。
ここに集まった人々の笑顔が増えていく。あぁ……父はきっとこれが見たかったのだ……と私も嬉しさが込み上げる中、自分の体の違和感に気付いた。

式典は教師の紹介に移っている。この式典もあと僅かで終わる筈だ。そう思っていた時、スッと音もなく横にイライジャがやって来た。

「キルステン様、どうなさいました?」
私はイライジャがそれに気付いた事に驚いていた。

「大丈夫……もう少しでこの式典が終わるから」

私はこの痛みの理由が分かっていたが、我慢出来ない訳ではないとそう言った。

「ダメです。さぁ、此処を出ましょう。大丈夫、後は校長に任せれば問題ありません」

私はまたもや一歩も引かないイライジャに促され、後ろ髪を引かれつつその場を後にした。






「元気な女の子ですよ」

レジーナが私に生まれたばかりの我が子を見せる。

「あぁ……何て可愛いの……」

私は震える指先でその小さな赤ん坊に触れた。

「伯爵、良く頑張りましたね。今はゆっくり休んで下さい」

出産で疲れた私はレジーナの言葉に素直に頷いた。
我が子とは離れ難いが、その気持ちよりも疲労の方が勝ってしまった私は、いつの間にか深い眠りに落ちていた。
< 26 / 37 >

この作品をシェア

pagetop