夫の心に住んでいるのは私以外の女性でした 〜さよならは私からいたしますのでご安心下さい〜
第28話
結局、私はイライジャがブツブツ言う言葉を無視して、産後二週間で仕事に復帰する事を決めた。
しかし、私は今自分の執務室に一歩入って驚きのあまり固まっていた。
「イライジャ……これは?」
「勝手に申し訳ないと思いましたが、少し模様替えを。こちらにジュディー様が休まれる為のゆりかご。で、こちらの仕切りの奥が授乳やおしめを替える為のお部屋です。二週間しかお時間がありませんでしたので、簡易的な物ですが、これは見た目より頑丈で……」
イライジャは淡々とそう言うと、仕切りの壁をコンコンと叩いてみせた。
「あら意外と頑丈なのね……って、そうではなくて。ジュディーをこの部屋に?」
「もちろん。ジュディー様に寂しい思いはさせません」
「私は母乳が出る方だからお乳をもらう必要はないけど、乳母は雇っているから仕事の間は彼女に任せる事が出来るのよ?」
「実の母に勝るものはありません。乳母の手を借りるのはもちろんの事ですが、せめて側に」
イライジャの過去をほんの少しだけ覗き見た私は、そう言われてしまうと黙るしかなかった。
さっそくジュディーは私の側のゆりかごに寝かされ、仕切りの向こうには乳母が控えている中、私は仕事を再開させた。
「ねぇ、イライジャ。この面会者名簿の名前の横の印は何?」
私の指差す先を見てイライジャは、
「あぁ、これは葉巻を嗜まれる方です」
とサラリと答えた。
「?葉巻を嗜まれる方に何故印を……?」
「この方々の面会はキルステン様にはご遠慮していただきます。葉巻の臭いがキルステン様に移ってしまっては、ジュディー様によろしくありませんから。この方々は私がお相手させていただきます」
「そんな事まで……」
「当たり前です。私がお二人をお守りすると誓ったのですから」
イライジャがこれまたサラリと言ってのけた。……何故か私の方が赤面してしまうのだが、イライジャはそれについて深い考えはないみたいだ。……私って自意識過剰の勘違い女なのかしら?
イライジャの私とジュディーへの過保護っぷりがどんどん加速していく中、サマル商会の我が国の支店第一号がアンドレイニ領地に開店した。
「可愛らしいお子様ですねぇ。アンドレイニ伯爵によく似ている」
「フフフッ。そうですか?そう言って頂けると嬉しいですわ。サマル伯爵も商会の出店に我が領地を選んで下さいましてありがとうございます」
「サマル伯爵。あまりお二人に近づかないで下さい」
私とサマル伯爵との会話に、我慢出来ないといった風に割り込んだのは、イライジャだった。
「おいおい。お前が煩いから、私は葉巻を一週間止めたんだぞ?」
「それでも近付き過ぎはよろしくありません。葉巻は体に良くない」
二人の言い合いを私はジュディーをあやしながら苦笑いで見つめた。
一人で育てる不安はいつの間にか私の中から消え去っていた。
それは間違いなく目の前に居るイライジャのお陰だと私は確信していた。それと同時に私の中でどんどんと大きくなるイライジャの存在をどうすれば良いのか、悩み始めていたのだった。
「見て!ジュディーが僕を見て笑ってる!」
サミュエルの嬉しそうな声に、
「まだ誰かを認識して笑うのは先の事です。これは『外発的微笑』と言って、周りの人の声や顔に反応して……」
とイライジャの冷たい言葉が被さった。
途端にサミュエルの顔が曇る。
「イライジャって意地悪だ」
「いえ、私は本当の事を……」
「二人とも揉めないの。サミュエルが笑顔だからジュディーも笑顔なのよ。貴方の明るい楽しい気持ちがジュディーに伝わってるのよ」
「ほら!!僕を見て笑ってるのは間違ってないじゃん!」
サミュエルはムキになってイライジャにそう言うと、
「イライジャ、罰として肩車してよ」
とイライジャに手を伸ばした。
何だかんだでイライジャに甘えるサミュエルに思わず笑ってしまう。
流石にもう八歳なったサミュエルの肩車は私には無理だ。
イライジャはサミュエルに言われた通り、素直に彼を肩車した。
「サミュエル、もう八歳になるのに肩車はおかしいんじゃない?」
「イライジャは背が高いから、肩車されると見晴らしがいいんだ!見て、お姉様よりずっと視線が高いよ!」
私の苦言にもサミュエルはどこ吹く風だ。
「イライジャ、もうサミュエルも重たくなったでしょう?無理しなくて良いのよ」
「いえ。これぐらいなら」
二人は最近仲良しな様だ。サミュエルはイライジャのお陰で随分と乗馬も上手くなった。
「そうだ、お姉様!今度遠乗りしようよ!」
イライジャの肩車の上から明るい声が聞こえる。さっきまで不機嫌そうに膨れていたのに、現金なものだ。
「遠乗り出来るぐらい上達したの?」
「うん!」
「ならば、今度湖まで行ってみましょうか」
「えー!僕、もっと遠くまで行けるよ」
私達の話にイライジャが口を挟む。
「そう言えば、湖に白鳥が飛んできたと聞いていますよ」
「白鳥?!見てみたいな!」
サミュエルはすっかり湖に行くつもりになってくれた様でホッとした。
私はお礼を言う様にイライジャに軽く頷いた。
サミュエルは満足したのか、家庭教師から与えられた宿題をする為に自室に戻って行った。子どもがいると一気に賑やかになる。父が亡くなった後、塞ぎがちだったサミュエルも最近は明るくなった様に思う。
ふと気付くと、イライジャがゆりかごに居るジュディーを見つめていた。
私はその横に並び立つ。
「どうしてサミュエルにあんな意地悪を言ったの?」
「意地悪を言ったつもりは……」
イライジャはそこまで言って言葉を切ると、改めて言い直した。
「すみません……少し意地悪でしたかね。正直サミュエル様が羨ましくて」
「羨ましい?」
「はい。ジュディー様は私にはあまり微笑んで下さいません」
そう言うイライジャの顔を私は覗き込んで、その頬を口角が上がる様にムニッと摘んだ。
「にゃ、にゃにを……?」
「イライジャが笑顔じゃないから、ジュディーも笑わないのよ。ほら、笑ってみせて?」
私が頬から手を離すと、イライジャは頬をピクピクさせながらも、ぎこちなく口角を上げた。
「もっと笑って?」
すると、イライジャは決心した様ににっこりと笑った。それにつられる様にジュディーが微笑む。
「ほら……ジュディーも笑顔のイライジャが見たいのよ」
そう言いながらも私はイライジャの綺麗な笑顔に胸がドキドキしているのを感じていた。
しかし、私は今自分の執務室に一歩入って驚きのあまり固まっていた。
「イライジャ……これは?」
「勝手に申し訳ないと思いましたが、少し模様替えを。こちらにジュディー様が休まれる為のゆりかご。で、こちらの仕切りの奥が授乳やおしめを替える為のお部屋です。二週間しかお時間がありませんでしたので、簡易的な物ですが、これは見た目より頑丈で……」
イライジャは淡々とそう言うと、仕切りの壁をコンコンと叩いてみせた。
「あら意外と頑丈なのね……って、そうではなくて。ジュディーをこの部屋に?」
「もちろん。ジュディー様に寂しい思いはさせません」
「私は母乳が出る方だからお乳をもらう必要はないけど、乳母は雇っているから仕事の間は彼女に任せる事が出来るのよ?」
「実の母に勝るものはありません。乳母の手を借りるのはもちろんの事ですが、せめて側に」
イライジャの過去をほんの少しだけ覗き見た私は、そう言われてしまうと黙るしかなかった。
さっそくジュディーは私の側のゆりかごに寝かされ、仕切りの向こうには乳母が控えている中、私は仕事を再開させた。
「ねぇ、イライジャ。この面会者名簿の名前の横の印は何?」
私の指差す先を見てイライジャは、
「あぁ、これは葉巻を嗜まれる方です」
とサラリと答えた。
「?葉巻を嗜まれる方に何故印を……?」
「この方々の面会はキルステン様にはご遠慮していただきます。葉巻の臭いがキルステン様に移ってしまっては、ジュディー様によろしくありませんから。この方々は私がお相手させていただきます」
「そんな事まで……」
「当たり前です。私がお二人をお守りすると誓ったのですから」
イライジャがこれまたサラリと言ってのけた。……何故か私の方が赤面してしまうのだが、イライジャはそれについて深い考えはないみたいだ。……私って自意識過剰の勘違い女なのかしら?
イライジャの私とジュディーへの過保護っぷりがどんどん加速していく中、サマル商会の我が国の支店第一号がアンドレイニ領地に開店した。
「可愛らしいお子様ですねぇ。アンドレイニ伯爵によく似ている」
「フフフッ。そうですか?そう言って頂けると嬉しいですわ。サマル伯爵も商会の出店に我が領地を選んで下さいましてありがとうございます」
「サマル伯爵。あまりお二人に近づかないで下さい」
私とサマル伯爵との会話に、我慢出来ないといった風に割り込んだのは、イライジャだった。
「おいおい。お前が煩いから、私は葉巻を一週間止めたんだぞ?」
「それでも近付き過ぎはよろしくありません。葉巻は体に良くない」
二人の言い合いを私はジュディーをあやしながら苦笑いで見つめた。
一人で育てる不安はいつの間にか私の中から消え去っていた。
それは間違いなく目の前に居るイライジャのお陰だと私は確信していた。それと同時に私の中でどんどんと大きくなるイライジャの存在をどうすれば良いのか、悩み始めていたのだった。
「見て!ジュディーが僕を見て笑ってる!」
サミュエルの嬉しそうな声に、
「まだ誰かを認識して笑うのは先の事です。これは『外発的微笑』と言って、周りの人の声や顔に反応して……」
とイライジャの冷たい言葉が被さった。
途端にサミュエルの顔が曇る。
「イライジャって意地悪だ」
「いえ、私は本当の事を……」
「二人とも揉めないの。サミュエルが笑顔だからジュディーも笑顔なのよ。貴方の明るい楽しい気持ちがジュディーに伝わってるのよ」
「ほら!!僕を見て笑ってるのは間違ってないじゃん!」
サミュエルはムキになってイライジャにそう言うと、
「イライジャ、罰として肩車してよ」
とイライジャに手を伸ばした。
何だかんだでイライジャに甘えるサミュエルに思わず笑ってしまう。
流石にもう八歳なったサミュエルの肩車は私には無理だ。
イライジャはサミュエルに言われた通り、素直に彼を肩車した。
「サミュエル、もう八歳になるのに肩車はおかしいんじゃない?」
「イライジャは背が高いから、肩車されると見晴らしがいいんだ!見て、お姉様よりずっと視線が高いよ!」
私の苦言にもサミュエルはどこ吹く風だ。
「イライジャ、もうサミュエルも重たくなったでしょう?無理しなくて良いのよ」
「いえ。これぐらいなら」
二人は最近仲良しな様だ。サミュエルはイライジャのお陰で随分と乗馬も上手くなった。
「そうだ、お姉様!今度遠乗りしようよ!」
イライジャの肩車の上から明るい声が聞こえる。さっきまで不機嫌そうに膨れていたのに、現金なものだ。
「遠乗り出来るぐらい上達したの?」
「うん!」
「ならば、今度湖まで行ってみましょうか」
「えー!僕、もっと遠くまで行けるよ」
私達の話にイライジャが口を挟む。
「そう言えば、湖に白鳥が飛んできたと聞いていますよ」
「白鳥?!見てみたいな!」
サミュエルはすっかり湖に行くつもりになってくれた様でホッとした。
私はお礼を言う様にイライジャに軽く頷いた。
サミュエルは満足したのか、家庭教師から与えられた宿題をする為に自室に戻って行った。子どもがいると一気に賑やかになる。父が亡くなった後、塞ぎがちだったサミュエルも最近は明るくなった様に思う。
ふと気付くと、イライジャがゆりかごに居るジュディーを見つめていた。
私はその横に並び立つ。
「どうしてサミュエルにあんな意地悪を言ったの?」
「意地悪を言ったつもりは……」
イライジャはそこまで言って言葉を切ると、改めて言い直した。
「すみません……少し意地悪でしたかね。正直サミュエル様が羨ましくて」
「羨ましい?」
「はい。ジュディー様は私にはあまり微笑んで下さいません」
そう言うイライジャの顔を私は覗き込んで、その頬を口角が上がる様にムニッと摘んだ。
「にゃ、にゃにを……?」
「イライジャが笑顔じゃないから、ジュディーも笑わないのよ。ほら、笑ってみせて?」
私が頬から手を離すと、イライジャは頬をピクピクさせながらも、ぎこちなく口角を上げた。
「もっと笑って?」
すると、イライジャは決心した様ににっこりと笑った。それにつられる様にジュディーが微笑む。
「ほら……ジュディーも笑顔のイライジャが見たいのよ」
そう言いながらも私はイライジャの綺麗な笑顔に胸がドキドキしているのを感じていた。