夫の心に住んでいるのは私以外の女性でした 〜さよならは私からいたしますのでご安心下さい〜

第29話


「見てください!!ジュディー様が寝返りを!!」

「本当だわ!凄いわジュディー」

ジュディーが一生懸命に寝返りを打つ姿に、私とイライジャは拍手をしながら喜んだ。

イライジャはジュディーに微笑みかけて欲しいという気持ちからか、とても笑顔が増えた。というより表情が豊かになったと言った方が正しい。まるで出会った頃とは違う。


使用人達はそんな私達を形容しがたい複雑な思いで見守っている様だ。

ある日母にも言われた。『まるで子育て中の夫婦の様だ』と。

イライジャは仕事だけでなく、ジュディーの子育ても手伝ってくれている。正直、子育ては執事の業務範囲外なのだが、彼はそれを率先して行っていた。
私の生活にイライジャの存在は欠かせない。貴族である私だが、ジュディーの子育てを自分の手である程度出来ているのもイライジャが私の仕事を全てコントロールしてくれているからだ。
私は心からイライジャに感謝していた。しかし……私達の関係はそれ以上でもそれ以下でもない。
確かに執事の仕事以上の働きを彼はこなしているが、それは彼が出来すぎる執事であるが故だ。イライジャは私とジュディーを全力で守るという自分の言葉を守っているに過ぎない。


「嫌われてはいないと思うのよね……」
ボソッと呟いた私に、イライジャが

「どうされました?お手紙が何か?」
と私の手元に視線を落とした。

「ん?ううん、別に。でもこうして王都を離れても私を心配して下さる皆様が本当にありがたいわ」

私はそう言って独り言を誤魔化した後、定期的に手紙をくれるご婦人方の顔を思い浮かべた。離縁に驚き、悲しんでくれた人達。
最初の頃は皆、私に子が出来なかった事が離縁の原因だと思っていた様だが、最近の手紙はどうも風向きが変わってきている。

「皆様、キルステン様に会えなくなった事を悲しまれているのではないですか?」

「そう言って下さる方も居て……。私が王都で何とか伯爵夫人としての務めを果たせていたのも、彼女達の教えのお陰だわ」

すると、イライジャは少し言いにくそうに、

「……ガーフィールド家の事は何か?」
と尋ねる。

離縁の原因をはっきりとイライジャに言ったことはないが、イライジャは私の言葉の端々から、その理由を感じ取っていた。きっと、ジョージとグラディスさんの事が気になったのだろう。

ご婦人方の手紙によれば、ジョージは夜会にグラディスさんを連れて行っている様だ。彼女の存在に、皆は離縁の理由が『コレ』なのでは?と疑う様になった。
手紙にもそれとなくそのような事が書かれる事が多くなってきたが、今のところ私はそれを曖昧にはぐらかしている。

「……ジョージの再婚はまだみたいね」
私の言葉にイライジャは顔を顰めた。

「そうですか。まぁ……今更どうでも良いですが……」


私はふと、気になった事を口にした。

「ねぇ……。ジュディーの事がもしジョージにバレたら……。まさかジュディーを取られるなんて事……」

私は口にした途端、不安で声が震えた。
出来ればさっさとグラディスさんと再婚して二人の間に子どもを作って欲しい。何故二人は再婚していないのだろう……。しかし、今の私にはそれをどうする事も出来ない。

そんな私にイライジャは近付き……そして座っている私の頭を包み込む様に抱き締めた。

「大丈夫。私が絶対に守りますから」

私はイライジャのその言葉に、何故かとても安心し心が温かくなった。





立派な劇場。お洒落なカフェに、流行りのドレスショップ。アンドレイニ伯爵領に店を出したいという人間が集まって来た。


「安く土地を貸し出して、尚且つ補助金の支援もする。誘致に成功しましたね。随分と賑やかになってきました」


「そうね。それに伴い移住してくる人も増えてきたわ。家を建てる人も増えたし、どこかから大工や木工職人も探して来ましょう」


「それと郊外の道の整備が必要です。移住してくる者が馬車の通りにくい場所があると」


「分かったわ。ふぅ……。予算をもう少し増やさなきゃ。もう少し鉱物の取引先を拡大させなきゃダメね」

そう言いながら、私は手の中にある招待状をもう一度開いた。

『王家主催の夜会の招待状』
社交シーズンの集大成とも言えるこの夜会は、かなり大規模な物で、あまり夜会に参加しない貴族であっても皆が顔を出す。

「これに参加したら……取引先の拡大を期待できるかしら」

口に出してみたが、気が乗らない。
昨年は父の喪中だった上に妊娠中だった。建前としては父の喪に服しているからと断ることが出来たのだが……さて今回はどうするべきか。


「他国に販売先を見つけましょう。無理してこの夜会に参加する必要はありませんよ」

イライジャは私の手からその招待状をサッと取ると、屑入れに捨てようとする。

「ちょ、ちょっと待ってよ!捨てないで!」

私はそれを慌てて阻止した。

「……参加するつもりですか?」

「正直、悩んでるわ」

領地に戻って来てから、社交らしい社交は全くしていない。

「悩むぐらいなら、止めておきましょう」

イライジャはきっと、私がその夜会でジョージやグラディスさんに会う危険性を考えているのだろう。確かに、この夜会にジョージが参加する可能性は高い。しかし……いつまで私はジョージを避けて生きていかなければならないのか。
ジュディーの事は隠し通したいが、あの二人に遠慮しながら生きるのも、釈然としない。

「でも……一生顔を合わせずに暮らすのは難しいわ」

私のその答えに、イライジャの眉がピクリと動く。

「合わせずに生きていく事は出来ますよ。夜会は強制参加ではありませんし、このアンドレイニ伯爵領はいずれ王都に負けず劣らずの都市になりますから」

「イライジャ……そういう訳にはいかないわ。王家主催の夜会は強制……とまではいかないまでも、参加する事が当然だと思われているもの。気は乗らないけど……やはり今回は参加しようと思うの」

イライジャが反射的に口を開こうとしたその時、私はもう一つの懸念点を口にした。

「でも……誰に相手を務めてもらうか……それが問題よね」
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