夫の心に住んでいるのは私以外の女性でした 〜さよならは私からいたしますのでご安心下さい〜
第30話
イライジャが物凄く不機嫌そうだ。
「いや~何とタイミングの良いことでしょうね」
ご機嫌そうなサマル伯爵との対比がすごい。
「こちらこそ、急にこんな無茶なお願いをしてしまって……」
「いえいえ。私としてもこの国に支店を増やす為に王都を訪れるつもりでしたから。その前にこの領に立ち寄って、私としてはラッキーでしたよ。美しいアンドレイニ伯爵のお相手が出来るのですから」
実は夜会には一人で参加しようと考えていた。私は伯爵。当主という立場なら一人で参加してもおかしくないだろうと判断した為だ。
しかし、ちょうどその時、サマル伯爵が我が領地へと顔を出した。そのタイミングの良さにサマル伯爵に無理は承知で私の相手を頼んだ……という訳だ。
「本当に王都にお泊りになられるのですか?」
「夜会の後で、流石にここまで戻るのは無理よ。宿屋を取って貰える様だから安心してちょうだい」
「そうだぞ、イライジャ。夜に馬車を走らせるのは危険だ。安心してくれ、私がこの国の王都でいつも使ってる宿屋だ。直ぐに伯爵の分の部屋も取らせるよ。歴史ある落ち着いた宿で、サービスも超一流だからきっと気に入って貰えるだろう。ん?何をそんな怖い顔をしてるんだ?」
サマル伯爵が常泊している宿を紹介してもらった。成金と称されてはいるが裕福なサマル伯爵が使う宿だけあって、それなりの金額だったが。
以前は王都に暮らしていた為宿屋の事情が分かっておらず、適当にどこかの宿に泊まればよいと安易に考えていた私としては非常に助かった。
「別に同じ宿屋に泊まる必要はないと思うんですけどね。それにジュディー様が寂しがります」
ジュディーの事を言われると私も心が痛い。ジュディーはかなり表情が豊かになり、私を見るとその小さな手を一生懸命に伸ばしてくる。私はそんなジュディーを抱きしめる事を、日々の活力にしていた。
「ジュディーの事はイライジャ、貴方と乳母に任せるから。大丈夫、明日の夕方には戻って来るわ。ではサマル伯爵、行きましょう」
私は後ろ髪を引かれる思いながらも、馬車へと乗り込む。ふと後ろを見るとイライジャとサマル伯爵が何か話していた。サマル伯爵は面白そうに笑っているのに、イライジャは苦虫を噛み潰したような表情だ。またもや対比がすごい。
「お待たせ致しました」
サマル伯爵が私の向かいに乗り込む。
「イライジャと何か?」
「釘を刺されただけですよ。くれぐれもアンドレイニ伯爵様には節度を持った対応をするように、と」
そうサマル伯爵は苦笑いした。
「申し訳ありません、こちらが願い出た事ですのに嫌な思いを。イライジャは少し過保護な様で」
「少しじゃなさそうですけど……。まぁ、あいつの人間らしい所を見ることが出来て、私としては嬉しい限りです」
「隣国でのイライジャの様子を……伯爵はご存知ですものね」
「ああ、お互い伯爵って呼び合うのは止めにしませんか?私の事はマシューと」
「では、私の事はキルステンと」
「キルステン……良い名前だ」
サマル伯爵……いや、マシュー様はそう言って頷いた。
「マシュー様。実は先に話しておかなければならない事がございます」
私は姿勢を少し正すと、グラディスさんとジョージの関係について話し始めた。
「なるほど……奇妙な縁とでも言いましょうか。まさか私の元義理の母がキルステン様の元ご主人の元婚約者だったなんて……って『元』が多すぎてややこしいですね」
ガタゴトと小さく揺れる馬車の中で、私はグラディスさんとジョージが元婚約者同士であった事を話した。この国に戻ったグラディスさんと再会した事も。
でも、私とジョージとの離縁の理由の一因にグラディスさんの事があるという事は伏せた。
流石にそれをマシュー様に赤裸々に話してしまうのは何か違うように感じたからだ。
それともう一つ、私には言っておかなければならない事がある。
「多分……いえ、きっとこの夜会にはジョージが参加すると思います、グラディスさんと一緒に」
「なるほど。キルステン様がこの夜会に気乗りしない理由は彼等と顔を合わせたくないからですか?」
「もちろんそれもあります。しかし、そんな事は些細な事。社交を避け続ける事は当主として不可能ですから。それよりも実はマシュー様にお約束して欲しい事が一つございます」
「何でしょう?何でもおっしゃって下さい」
「ジュディーの事を口外しないでいただきたいのです」
「ほう……。もう知られているのではありませんか?」
「たとえそうであっても、こちらから情報を与えたくはありません。他の方々にも今はまだ言うつもりはありません」
出来ればジョージがグラディスさんと再婚して子どもが出来るまで……ガーフィールド家に跡取りが出来るまでは、私が子どもを生んだことを隠しておきたい。でなければ安心出来ない。
「分かりました。安心して下さい」
「ありがとうございます」
私が礼を言うとマシュー様がジッと私を見詰めていた。
「……多くを尋ねるつもりはありません。しかし私は女性を悲しませる男が嫌いでね。事情は知らないが、どうも私はガーフィールド伯爵を好きになれそうにありませんな」
少し茶化すような物言いではあったが、マシュー様の釣り上がった目は全く笑っていなかった。彼も商売人。人の表情を読むことに長けている様だ。
「フフフッ。私はもう何とも思っておりませんのよ?まぁ積極的に顔を合わせたい訳でもありませんけど」
「それより。キルステン様は私なんかと一緒で本当に大丈夫ですか?私はなんて言ったって『成金伯爵』ですよ?」
「前にも言いましたが、お金を稼ぐ才能があるというだけのこと。誰かに不利益を与えて稼いだお金でもあるまいし。人の言う悪口の陰には嫉妬や羨望が混じっている場合がございます。私は何も気になりません」
私がそう言うと、マシュー様は少しホッとした様に小さく息を吐いた。