夫の心に住んでいるのは私以外の女性でした 〜さよならは私からいたしますのでご安心下さい〜

第34話


『キルステン様の側で仕事をしていたいです』

うーん……これはどう受け取れば良いのかしら?あれから三日ほど私はこの事に思考を支配されていた。
とはいえ、そろそろ気持ちを切り替えたい。それに私一人で考えたって仕方ないのだし。
イライジャの気持ちはイライジャだけのものだ。私が推し測って色々と押し付けるのは違う。


「キルステン様、公園の中に建てる予定のカフェについてですが……」

私の悩みの種がいつもの様に折り目正しくやって来た。

「えっと……子どもと一緒でも寛げるスペースを作って欲しいっていう私のアイデアはどうなった?店主の方は賛成してくれたかしら?」

イライジャは私の机にカフェの設計図を広げてみせた。

「店主はこの部分とこの部分を完全に分けてしまって、子ども連れとそうでない客とを分離するのはどうだろうか?と」

一緒に設計図を覗き込むと、思いの外イライジャの顔と近付いてしまった。意識しない様にと思っているのに、勝手に頬が熱くなる。

「い、いいんじゃない?でも、店内が狭くなったりしないかしら?子連れのスペースは机と机の間の間隔を広げた方が良いと思うの。子どもってつい走ったりするでしょう?机や店員にぶつかると危ないもの」

「なるほど……。では、テラス席をこっち側に持ってくるのは?」

「良いわね。これならこちらを広く使えそう。店主に提案してみてくれる?」

「分かりました。そう言えば、一度建設場所を見に来て貰いたいと店主が。相談があるらしいです」

「そうね……一度視察に行ってみましょうか。そうだわ!この前届いた乳母車を使ってみたいから、ジュディーも連れて行こうかしら?」

「そうですね。明日なら天気も良いみたいですし、明日にしますか?」

「そうしましょう。じゃあ、店主にそう伝えてくれる?」

「畏まりました」

イライジャはいつも通りの涼しい顔で執務室を出て行った。私だけが意識しているようで、なんだか釈然としない。






翌日は良いお天気。ジュディーのお散歩日和だ。

「たまには屋敷の庭以外も見せてあげないとね」

乳母車にジュディーを乗せ、私は公園の中を歩く。イライジャは私に日傘を差し掛けながら、横を歩いていた。

「赤ん坊にはある程度新しい刺激が必要だとレジーナも言ってましたし」

「そうね。良い機会になったわ。でも……別にイライジャまでついて来なくても良かったのに」

「私は自分の心に素直に従う事にしたので」

「?どういう事?」

「キルステン様の側に居たいと言ったじゃないですか」

イライジャはまるで当然とでも言いたげに、サラリと言った。

「そ、そ、そうだったわね。ねぇ!ちょっと乳母車がガタガタ言うわ。公園の中に散歩出来る遊歩道を作ってはどうかしら?」

動揺して、声が大きくなってしまった。

「遊歩道、良いアイデアですね。すぐに伝えます。そうだ、乳母車が揺れるならジュディー様は私が抱っこいたしましょう」

私が立ち止まると、乳母車からイライジャがジュディーを抱き上げる。ジュディーも嬉しそうにイライジャに手を伸ばしていた。

まるで三人家族の様な錯覚を覚える。……そんな事あるはずないのに。






私が日傘を預かって、イライジャがジュディーを抱き上げる。

「ジュディーにも日傘を差し掛けた方が良いかしら?」

「ならば私が」

イライジャは片手でジュディーを慣れた手つきで抱くと、もう片方の手で、私とジュディーを日傘で覆う。

「重くない?」

「重くなったと感じる度に成長を感じて嬉しくなります」

ジュディーもイライジャに抱っこされてご機嫌だ。イライジャは背が高い。サミュエルがイライジャの肩車を喜ぶ様に、ジュディーもまたイライジャの抱っこが好きだった。きっといつもと違う目線の高さに好奇心が刺激されるのだろう。

「見晴らしが良い?ジュディー」

私がぷくぷくのジュディーの頬を指で優しく突くとジュディーは声を上げて笑った。

私は空になった乳母車の押し手を持つ。さぁ、また歩き始めようとしたその時。

「キキ?!!」

少し離れた場所から聞き覚えのある声が聞こえて、私は青ざめた。私のその表情を察したのか、イライジャは咄嗟にジュディーを日傘で隠す。


向こうの方からジョージが走り寄って来るのが見える、公園の開けた場所では、隠れる場所もなかった。

「ジ、ジョージ……」
私は動揺が隠せない。

「キキ……その子どもは……?」

走り寄ったジョージは私達の前で立ち止まると、震える指で日傘に隠れたジュディーを指差した。

すると一言。

「私の子です」
とイライジャははっきりと迷いなくジョージに告げた。
私は思わずイライジャの横顔を見上げる。

「お、お前は……執事だな。何故執事の子どもをキキが連れてるんだ?おかしいだろう?」

「それは……」
私が答えるより先にイライジャがその問いに答えた。

「それは私とキルステン様の子どもだからです」

イライジャに動揺する様子は全くない。まるで仕事をしている時と同じ様に堂々としていた。

「は?お前はたかが執事だろ?キキ……その子は僕の……」「違うわ!!」

まだ動揺している私は思わず大きな声を出してしまった。親の気持ちは子に伝わる。私のその声に、

「ヒック、ヒック、ウゥゥ、ウワァ~」
ジュディーが泣き出してしまった。
イライジャは日傘でジュディーをしっかりと隠しながら、

「大丈夫、大丈夫」
とジュディーのお尻をポンポンと軽く叩き、あやしている。それもやはり私の見慣れた光景だった。
横目でその様子を見ると、日傘の隙間からジュディーがイライジャの洋服をしっかりと握りしめているのが見える。

「その子の髪は僕と同じ薄茶色だった!!少なくともお前の黒髪じゃない!」
イライジャに指差すジョージ。
その顔は怒っている様な、喜んでいる様な……一言では形容しがたい表情だ。

「貴方はご存知ないかもしれませんが私の黒髪は優勢遺伝ではありません。祖国でも両親が黒髪であっても子どもが黒髪でない事も珍しくありません。それに……貴方には見えなかったかもしれないが、瞳はキルステン様の綺麗な淡い赤色を受け継いでくれています」

そう言って日傘で隠したジュディーをイライジャはそっと見る。その口元には微笑が湛えられていた。
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