夫の心に住んでいるのは私以外の女性でした 〜さよならは私からいたしますのでご安心下さい〜

第35話


「キキ!ならば君は僕と結婚している時にその男と浮気していたと言うのか?!」

「失礼な。御自分がそうだからとキルステン様も同じだと思わないで下さい」

私とジュディーの姿を見たジョージは周りも気にせず大声を出す。その様子は鬼気迫っていてなんだか怖い。イライジャとは正反対。イライジャは極めて落ち着いていた。
それに引き換え私といえば、不意打ちでジュディーの姿を見られた事で、正直動揺していた。しかし、こんな場所で、私達が注目されるのは些かまずい。

「ジョージ……何故此処に?」
ジョージに落ち着いて欲しくて、私は自分の動揺を隠し、出来る限り静かな声で尋ねた。

「キキ、君に話があったんだ。アンドレイニ伯爵家を訪ねたが、門前払いをくらった。どうするか悩んでいる時、ここを通りかかったらアンドレイニ伯爵家の馬車を見かけたんだ」

私は紋章の付いていない馬車を選ぶべきだったかと後悔したが、こんな事態を予想だにしていなかったのだ、今更仕方ない。

このまま此処でプライベートを晒すのは、私の立場としても良くない。

「ジョージ、話があるなら屋敷で話しましょう」

「キルステン様!」

隣でイライジャが咎める様な視線を向ける。きっと話をする必要はないと考えているのだろう。

「イライジャ、ここで言い争うのは良くないわ。カフェの店主には申し訳ないけれど、日を改めさせて貰いましょう」

心配そうなイライジャにそう言うと、私は改めてジョージに向き直る。

「ガーフィールド伯爵、屋敷に来てもらえますか?そこでお話を聞きます」

「分かった。ではアンドレイニ伯爵家に向かうとしよう」

先ほどまで動揺し過ぎて『ジョージ』と呼んでしまった事に、私は何故かイライジャに対して申し訳ない気持ちになっていた。

ジョージが私達に背を向けて、去って行く。

「キルステン様、よろしいのですか?」

「ここで注目を集めるのは良くないわ。イライジャ、戻りましょう」

私達は急いで馬車へと向かう。心配そうなイライジャの視線に、私は小さく頷いてみせた。


私達が戻った直ぐ後、ジョージが屋敷を訪れた。私達の馬車が戻るのを、何処かで見張っていたのかもしれない。せめて着替える時間ぐらい欲しかったが、仕方ない。

屋敷に戻る頃には、私の動揺も幾分かましになっていた。

ジョージの待つ応接室に、向かう。既にイライジャは扉の前で待っていた。
ジュディーは乳母に任せた。ジョージに会わせるつもりはない。

イライジャが小さな声で言った。

「必ず守りますから」

その言葉に勇気を貰い、私は頷いた。イライジャが応接室の扉を開く。私は『フッ』と大きく息を吐くと、背筋を伸ばした。



「お待たせいたしました」

私の姿にジョージが立ち上がる。と、同時に私と一緒に部屋に入ったイライジャに厳しい視線を向けた。

「何故お前が居る」

「私は執事ですから」


イライジャはその視線にも涼しい顔だ。


私はそんなジョージを無視して、椅子を指し示す。

「ガーフィールド伯爵、お座りください」

まだ突っ立っているジョージは放って、私は長椅子に腰掛けた。それを見てジョージはストンと腰を下ろす。私の後に立つイライジャの存在が不満そうだ。


「それで、何のご用でしたの?」

不満そうなジョージを無視して話を始める。

「それより、さっきの子どもの話をしてくれ。その話次第で僕が此処に来た事に意味があったと言える」

「あの子は私とキルステン様の子だと言ったではないですか」
私の後方から声がする。その声にジョージは顔を顰めた。

「お前には訊いていない。キキ、正直に答えてくれ」

「イライジャの言う通り。あの子は私とイライジャの子です」

「赤ん坊の歳は分からんが……生まれたばかりというわけではなさそうだった。計算が合わない。それともやはり浮気していたのか?!」

「………」

私が上手く答えられないでいると、

「あの子は予定より早く生まれました。キルステン様は貴方とは違う」

イライジャが助け舟を出してくれた。私もそれに合わせる。

「妊娠や出産は予想外の事が起きますから」

「それでも……!じゃあ君は離縁して直ぐにその男と関係を?!」

「だから何?貴方に言われる筋合いはないわ。あ……でも勘違いしないでくださいね。私は貴方を責めている訳ではないの。でも貴方にとやかく言われるのは気に障るわ」

「キキ……君は……こいつと一緒に居たいが為に僕と離縁を……?」

「馬鹿を言わないで。……と言うか……そんな事を話しにわざわざ此処まで?」

「いや……」

そう言ってジョージはチラリとイライジャに視線を向ける。

「キキ、二人で話せないか?」

「無理です」
イライジャが私より早く答える。

「二人で話したい事など私にはないわ」

「……じゃあ言おう。僕とやり直して欲しい」「嫌よ」

私は間髪を容れずに断った。

「キキ、聞いて欲しいんだ。グラディスとの事は誤解だ」  

「誤解?では私が見たものは幻?」

往来で口づけをする二人を見たのは私自身だ。

「いや。あれは……。だが口づけ以上の事は……その……」
ジョージはまたイライジャの方へと視線を向ける。

「そこの男に何故僕達二人の話を聞かせなければならないんだ?!」

「別に言いたくないのなら、言わなくても良いですわ。私は聞かなくても構いません」

私の言葉にジョージは言いにくそうに……でも決心した様に絞り出す。

「グラディスが帰国して……会って彼女にまた惹かれた事は確かだ。でもそれは懐かしかったからで……。グラディスに誘われてその誘いに乗った。だけど!い、一度きりなんだ。一度きり。身体の関係は一度きりだ。あれはシーメンス伯爵領に……」

「ストップ!ガーフィールド伯爵。貴方は御自分が何を言っているのか分かっているのですか?一度だろうと何だろうと、キルステン様を裏切った事に変わりはありません。それ以上不快な話をするのであれば、申し訳ありませんが、お帰りになってください」

イライジャの声に呆れと怒りが混じる。冷静に話している様に聞こえるが、私にはそれが分かった。


「だから!二人で話をさせてくれ、頼む!お前は出て行け!」

「ガーフィールド伯爵。貴方がどんな話をしようと私達が離縁した事は変わらぬ事実。もう私の事はお気になさらず」

「頼むよキキ。君が僕を避けるようになってから……グラディスには会ってなかったんだ!確かに……それまでは君に内緒でグラディスと過ごす事もあった。口づけは……その雰囲気に呑まれて……」

『バン!!!』
いつの間にか、私の背後に居た筈のイライジャが前に回り私達の間にあるテーブルを掌で叩いていた。

「不快な話をこれ以上キルステン様に聞かせるというのなら、護衛を呼んで此処から引き摺り出しますよ?」

私はテーブルの上のイライジャの手に自分の手を重ねた。

「イライジャありがとう。でも大丈夫よ。何を聞いても私はもう何も感じないから」

出来ればグラディスさんと今直ぐにでも再婚して欲しいぐらいなのだ。今までの裏切りを聞いたとしても、悲しくも辛くもない。

「キキ。僕の話をちゃんと聞いて欲しいんだ」

「貴方の言い訳を?」

「違う。僕が本当に愛しているのは君だ。君が居なくなって改めて自分の気持ちに気づいたんだ。本当なら直ぐにでも迎えに来たかった。だけど、シーメンス伯爵との共同事業が暗礁に乗り上げて色々と忙しくて……」

「ガーフィールド伯爵。何を聞いても今更何も変わりません」

私がそこまで言うとジョージはガクッと項垂れた。……と思ったら直ぐに顔を上げて私に鋭い視線を向ける。

「キキ。もしあの子が僕の子だったら?離縁が認められたのは三年子が出来なかったからだろう?あの子が僕の子だと証明されれば、離縁は無効。そうだ……そうなればこの状況は変わる」

ジョージの視線が私を絡め取る。私は身動きが出来なくなった。

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