夫の心に住んでいるのは私以外の女性でした 〜さよならは私からいたしますのでご安心下さい〜

第8話

ジョージの事は執事に任せ、湯浴みを済ませた私は自分の部屋へと戻る。

最近はもう夫婦の寝室で休む事もない。
子作りなんて正直今ではもう考えられなくなっていた。
そういえば最後って……もう一月以上も前のことだ。

「これからどうしたら良いのかしら……?」
私は誰に聞かせるでもなく、一人呟いた。

これからもグラディスさんと一緒に居るジョージを横目に、私は私の務めを黙って果たせば良いのだろうか?
それともジョージに一言嫌味の一つでも言った方がスッキリするのかしら?


「はぁ……」

私は思わず溜め息を吐いた。色々と一人で考えていても仕方ない。私は寝台に潜り込んだ。



―その日の夜中


廊下で話し声が聞こえる。
煩いな……そう思いながら少しずつ意識が浮上してくるのを感じるが、眠すぎて瞼を開ける事が出来ずに居ると、

『バタン!!』
とノックもなしに、部屋の扉が開く音が聞こえた。
廊下で、

「旦那様!奥様はもうお休みになっております!お静かに!」
と注意する声が微かに聞こえ、流石の私も瞼を開けた。

「……ジョージ?」
体を起こそうとする私の上に、ジョージがのしかかる。

「キキ、どうして夫婦の寝室に居ないんだ?」

ジョージの息は酒臭く、私は思わず顔をしかめた。

「随分飲んだのね」

「ああ!楽しかったよ!」

「ジョージ……こんな時間に大きな声をださないで」

私とジョージの温度差が酷い。

「ねぇ、水でも飲んだら?ちょっと飲み過ぎよ」
私は自分に覆いかぶさっている、ジョージの下から逃れようと、酒を飲んで何となく脱力している彼を両腕で押し返す。


「キキ、つれないこと言うなよ。なぁ……久しぶりにいいだろ?」

「ジョージ……酔っ払ってるの?」

「俺達は夫婦だろ?」

「そうだけど……」

正直私は戸惑っていた。素直にジョージを受け入れられない自分がいる。

しかしジョージはそんな私の気持ちに構いもせず、口づけをする。
私は結局なし崩し的に、ジョージを受け入れるしかなかった。




私は裸で隣に眠るジョージに目をやる。
体を重ねたから……という訳ではないが、私さえこのモヤモヤを呑み込んでしまえば丸く収まるのかもしれない……そんな気持ちになる。

夫婦なんてお互い少しずつ妥協して折り合いをつけていくものなのだろう。不満のない夫婦なんて、そんなに多くはないのかもしれない。私達は今までが上手くいきすぎていただけなのだ。

私は汗をかいた体を拭く物を取りに行こうと、寝台を降りるつもりで体を動かした。
すると、隣のジョージが瞼を閉じたまま私に手を伸ばす。そして一言、

「……グラディス……」
と呟いた。



「あ~頭痛い」

私より随分と遅く起きたジョージが執務室へ入って来た。

「おはようジョージ。薬要る?」

私は机で手紙を確認しながら、顔を顰めているジョージに声をかけた。


『……グラディス……』
寝言でそう言った事など、きっと彼は覚えていないだろう。いや……私との事だって覚えていないのかもしれない。

しかしジョージは私の側に来ると耳元で囁いた。

「昨日は突然……ごめん。次からはもう少し雰囲気も大切にしなきゃな」

「……馬鹿ね」

私との出来事は覚えていた様だ。私は曖昧に微笑んで、ジョージに席を譲る。

「早めに返事をしなきゃないけない物は選んでおいたから先に目を通してね」


「え?もう行くのか?」

机の上に置いていた私の手をジョージが握ろうとするのを、私はスルリと躱して席を立った。

「今日はブランドン伯爵夫人と観劇のお約束をしているの」

「観劇?そんなのまだまだ時間に余裕があるだろう?」

「ごめんなさい。その前にカフェでお茶でもって。ジョージ、貴方は起きたばかりでしょうけど、もうそろそろ昼になるのよ?」

「あ……もうそんな時間なんだな。起こしてくれれば良かったのに」

「たまには寝坊も良いでしょう?今日は特別予定はないんだし」

私はそう言いながら執務室を出る。扉が閉じる瞬間振り返ると、執事から二日酔いの薬を手渡されているジョージが見えた。


カフェに行く約束なんてなかったけれど、何となく屋敷に居たくない。観劇まで時間潰しに本当に一人でカフェに行ってしまおう。そう決めると少しだけ心が軽くなった気がした。


昨晩の出来事は、私の心に小さな棘が刺さった様な痛みを与えた。
流石にあんな所で他の女性の名前を呼ばれるとは思っていなかった。だからといって、ジョージを責める気にもならない。寝言をコントロール出来る人などいないのだから。


私は支度を済ませると、屋敷を出た。観劇まではもちろん時間がある。私は街で貴族に人気なカフェに向かうことにした。


そのカフェには通りに面したテラス席と、店内席とがある。天気も良いし、テラス席にしようかしら?そう思ったが、

「申し訳ございません。テラス席は満席で……」

皆、考えることは一緒の様だ。私が笑顔で、

「別に何処でも構いません」
と店員に言えば、彼女は申し訳なさそうにテラス席近くの席を案内してくれた。

席に座る前に、無意識にふとテラス席に目をやると、見知った二人が目に入る。

「グラディスさんと……パメラだわ」

私はテラス席に背を向ける様に座った。間には花や草木が飾られており、向こうから私の姿はあまり見えないだろう。
しかし背を向けた私には二人の声が雑踏に紛れながらも、聞こえてきた。


「はい。これ、お約束したものに少し色をつけておきましたわ」

「いつもごめんなさいね。ちょっと今月はピンチで。出事が多くて出費が嵩んじゃって……」

「お気になさらないで。だってパメラは私のお姉様も同然。幼い頃からその気持ちは変わっておりませんもの」

「本当にグラディスがジョージと結婚して義妹になってくれたら良いのにって思うわ。キルステンは何だかお高くとまっていて、可愛げがないのよ」

パメラがグラディスさんにゴマを擦りながらも、私を馬鹿にしている。
……パメラはグラディスさんからお金を借りている様だと、今の会話で私は嫌でも理解してしまった。
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