夫の心に住んでいるのは私以外の女性でした 〜さよならは私からいたしますのでご安心下さい〜

第9話


観劇中も私の頭の中は別の事で一杯だった。

「はぁ~素敵だったわねぇ」

ブランドン夫人にそう言われても、

「ええ。本当に」
と曖昧に答える事しか出来ない。……正直何も覚えていない。


まさかパメラがグラディスさんにまでお金を借りているなんて……。
そういえば、最近ジョージにお金の無心をしている様子がなかった事を思い出す。……そういう事かと合点がいった。

なんだろう……どんどんとグラディスさんに侵食されているような気分になる。自分の居場所がなくなっていくような……そんな感覚だ。


「……キルステン様、どうされましたの?ご気分でも?」
夫人の声に我に返る。

「あ……ごめんなさい。ちょっと劇の余韻に浸ってしまっていましたわ」

「分かるわ~。主人公が恋人に別れを告げるシーン。切なくて思わず涙を零してしまいましたもの」

何故か夫人の『別れ』という言葉に私は心がざわついた。





それからというもの、私とジョージはいたって穏やかな日常を過ごしていた。……表面上は。



あの寝言を聞いてから、いつしか私はジョージを受け入れられなくなっていた。


「今日も体調が悪いのかい?」

「ええ、ごめんなさい。なんだか体がきつくて」

彼からの誘いを断る日々が続く。


ジョージがグラディスさんに伝えてくれたお陰か、彼女が我が家に訪れる回数は減っていた。しかし、何故か今度はジョージが出かける事が多くなる。


「社交倶楽部はどう?」

「有益な情報で溢れてるよ。楽しいね。じゃあ行ってくる

「いってらっしゃい」



私とジョージ。周りから見れば普通の夫婦に見えるだろう。だけど、ジワジワと二人の間にはズレが生じていた。お互いそれに気付いている。だが、私もジョージも二人してそれを見て見ぬふりをしていた。



そんなある日、

「奥様!!大変です!!」

執事が私の部屋へと飛び込んで来る。

最初はジョージの誘いを断る為の嘘が、最近では本当に少し体調を崩しがちになってしまった私は、昼間から自室で休んでいた。
気分が体調に出てしまっているようだ。


確かジョージは少し前にシーメンス伯爵と出かけたはず。もしかしてジョージに何か?

「どうしたの?」

私は長椅子から立ち上がる。

「ア、アンドレイニ伯爵が……っ!」

「お父様が?どうしたの?」

「事故に遭われたと……」

「事故……?事故って?!」

「それが……小さなお子様が馬車の前に飛び出したのを助けて……」

執事はそこまで言うと苦しげに顔を顰めた。そして……

「葬儀は……奥様がご実家に戻られてから……と」

そう私に言った。






「大丈夫か?キキ」

「え……ええ。でもまだ信じられない……」

私はそう言って顔を両の掌で覆った。気を抜くと泣きそうになる。

あの後、ジョージは飛んで帰ってきた。執事はジョージにも連絡をしていた様だ。

『仕事は?』と尋ねる私に『そんなものはどうでも良い!』と言ってくれたジョージに心から感謝した。



私達は取る物も取り敢えず馬車で実家へと向かっていた。
私の実家、アンドレイニ伯爵家は王都に屋敷を構えていない。私達が向かっているのはアンドレイニ伯爵領だ。

馬車に揺られる私の肩をジョージはしっかり抱き締めた。

「何かの間違いなら……」

私の声が震えるのは、なにも馬車が揺れているからではない。

「そうだな……。僕もそう願っているよ。それに君の母上と弟が心配だ」

私の母は弟を産んでから産後の肥立ちが悪く、一日の殆どを寝台の上で過ごしているような状況だ。
その弟はまだ幼くて……確か今年で七歳になる。我が国では女性でも爵位を継げるが、殆どの当主が男性である。
弟が生まれるまで、アンドレイニ家には私しか跡継ぎが居なかったのだが、弟が産まれた途端に私に婚約者が決まったのはそう言う理由だ。

「そうね……早く行ってあげないと」

うちには老執事がいたが、私が子どもの頃から既に高齢だった筈。そんな執事が一人で立ち回っているのではないかと考えると、居ても立っても居られない。

「……でも、父が亡くなってしまったら、うちはどうなるのかしら?」

「それは……これから一緒に考えよう」

私は心の不安を吐露した。こうしてジョージに話す事で、少し安心している自分に気づく。やはり彼は……私の夫なのだと妙に納得してしまった。





「ガーフィールド伯爵、そして伯爵夫人。遠路はるばるありがとうございます」


私は目の前の長身で黒髪の男性の存在に戸惑った。彼は……誰なんだろう?


しかし、そんな事は後だ。私は急ぎ母の元へと向かった。

「お母様!」

母の部屋の扉を開くと、母は寝台に横たわっていた。側に弟のサミュエルも居る。

「……あぁ……キルステン……」
母は上半身を起こすと、私の方へと手を伸ばす。

私が駆け寄ると、母は私に抱きつく。私も母を抱きしめた。

「キルステン……お父様が……」

「ええ……聞いたわ……」

母はシクシクと泣き始めた。私も涙を堪えきれない。

「お姉様……」

サミュエルも私の腰の辺りに抱きついた。私は片手でサミュエルも抱きしめる。


二人の様子から……私は父が本当に私達を置いて天国へ旅立ってしまったのだと、痛感した。
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