甘やかな契約婚 〜大富豪の旦那様はみりん屋の娘を溺愛する〜
第1章 沈みそうな老舗
朝の蔵に足を踏み入れると、鼻腔をくすぐる懐かしい香りが広がった。ほんのりと甘く、どこか澄んだ空気を含んだような匂い。それは、木樽の中で静かに熟成を続ける味醂特有の、深い芳香だった。
私が生まれたときから、この蔵にはずっと変わらず流れている香りだ。まるで時間が止まったかのように、蔵の空気は穏やかで、どこか神聖な静けさに満ちている。
【みやび】の味醂。
雅乃家の看板であり、お祖母様が生涯をかけて誇りにしていたものだ。
木樽の中で眠る味醂は、ひっそりと、けれど確かに時を重ね、深い琥珀色に変わっていく。その色は、まるでこの蔵に刻まれた歴史そのものを映し出しているようだった。
私は胸いっぱいにその香りを吸い込み、そっと目を閉じた。
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