甘やかな契約婚 〜大富豪の旦那様はみりん屋の娘を溺愛する〜
第7章 心の距離
翌朝、キッチンに立つ私の手は、いつもより少しだけ軽やかだった。
昨夜の周寧から言われた言葉──『紫月の作る料理には、母を思い出す』
それが、胸の奥で静かに響き続けている。
あの言葉は、まるで凍てついていた私の心に小さな火を灯したようだった。ここに来て、ずっと契約結婚という冷たい枠組みの中で生きてきた私に初めての温かな実感をくれたのかもしれない。
今日の朝食は、祖母がよく作ってくれた卵焼きにしようと決めた。【みやび】の味醂をほんの数滴加え、ふんわりと甘く、優しい味わいに仕上げる。
祖母の教えを思い出しながら、卵を丁寧に巻く。
キッチンに漂う朝の香りが、まるで過去の記憶を呼び起こすように私の心を落ち着かせた。
なぜか胸の奥でざわめく、かすかな記憶の欠片。あの頃の私は、何も知らずにただ無邪気に笑っていたのだろうか。
「いい匂いだな」
背後から聞こえた低い声に、思わずビクッと肩を震わせて振り返る。
周寧さんがそこに立っていた。スーツ姿で、ネクタイをきっちり締めた彼は、いつもより少し早い時間に現れた。
普段なら朝食を共にすることはほとんどない。仕事の予定に追われ、朝はコーヒー一杯で家を出るのが彼の常だった。
それなのに、今日の彼はリビングのダイニングテーブルに自然に腰を下ろし、まるでそこが彼の定位置であるかのように振る舞っている。