あなたは私のオランジェットの片割れ
06・どうか幸せに
 二人で暮らす毎日は楽しくて、お菓子作りも充実。そしてあの日から、蒼士のベッドで一緒に眠っている。

 だから、休暇が終わり出勤日の朝は会社に行くなんて嫌で仕方がなかった。それでもやはり、行かなきゃいけないんだけど。

 今日はお昼過ぎからの仕事の蒼士に見送られ、杏はしぶしぶと出勤。休暇中はマスコミ対策で、買い物もネットスーパーや宅配便でほぼ引きこもっていたから、マンションの外へ出たのは久しぶりだった。だから気がついていなかったけど、お盆を過ぎた夏空はわずかに秋の空気を含んでいた。

 マンションを出た所で杏は青空を見上げた。空が少し高い気がした。

 その時だった。こちらの方へ大股の急ぎ足で近付いて来る人影が見えた。

 大柄な体型、黒いTシャツに紺色のスカート。特徴的な腰まであるロングヘア。誰だろう、と考えるまでもなく分かった。

 あれは――平野麻友子だ。

 以前、会社の前で杏を襲った、熱狂的東雲蒼士ファン。でも彼女は、件の騒動で杏と蒼士に接近禁止令が出ていて、家族の管理下にあるはず。

 (それなのに、どうしてここへ……?)

 考えている間もなく、麻友子は杏のすぐ目の前で止まった。

「あんたでしょ?! あんたよね?! あたしから蒼士を奪ったのは! 返してよ! あたしの蒼士はあんたのせいで変になっちゃったんだから! あんたさえいなければ! 蒼士はあたしと結婚出来たのに!!」

 麻友子は意味の分からない事を叫びながら、肩から下げていたトートバッグに手を入れた。バッグは片側に透明なカバーがかかっていて、その中には蒼士の顔がプリントされた缶バッジがびっしりと付けられている。俗に言う痛バッグというやつだ。杏はわけがわからず呆然と立ち尽くしていた。
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