温厚専務の秘密 甘く強引な溺愛

噂 忍び寄る破壊

帰宅後。
波瑠は玄関で靴を脱ぐと同時に、昼間耳にした秘書たちの声が鮮やかによみがえった。

「……どうしよう」
心臓の奥がずしりと重くなる。

　自分が噂されるのなら、まだ耐えられる。
けれど、圭吾さんだけでなく、佐倉さんや黒瀬さんの名前まで引き合いに出されるなんて――。
彼らに迷惑をかけることだけは、どうしても耐えられなかった。

　頭を抱え、リビングの片隅に腰を下ろす。
「……いやだ……」
小さな声が、空虚な部屋に落ちた。

　膝を抱え込むと、身体が自然に縮こまり、涙が込み上げる。
胸の奥に押し寄せる無力感は、息を詰まらせるほどだった。



翌日。
昼下がりにスマートフォンが震えた。
画面に表示されたのは「佐倉美咲」の名前。

――落合さん、今日の夜、私とご飯食べに行ける？
ちょっとプライベートで話したいことがあるの。

　いつもなら胸が弾む、美咲からの誘い。
けれど今回は、何の話なのかすぐに察してしまった。
昼間耳にした、あの噂――。

　波瑠はしばらく画面を見つめ、深く息を吐いた。
静かに文字を打ち込む。

――はい、わかりました。

　送信ボタンを押したあと、胸の奥で小さな不安がざわめいていた。

夜。
約束の時間に店へ着くと、美咲はすでにテーブルに座り、ワイングラスの水滴を指先でなぞっていた。
落ち着いた雰囲気のレストラン。柔らかな照明が二人を包み込む。

「落合さん、こっち」
美咲が微笑んで手を振る。

「こんばんは……」
波瑠は緊張を隠せずに席についた。

　料理が運ばれ、しばし仕事や日常の他愛ない会話を交わす。
けれど、やがて美咲がふっと真剣な表情に変わった。

「……今日、どうしてもあなたと話したかったの」
声は静かで、けれど核心を外さない響きを持っていた。
「落合さん。あなたのことを――あまりよくない噂が流れているの、知ってる？」

　波瑠は息を呑み、手にしたグラスを小さく揺らした。
胸の奥に沈めていた不安が、とうとう目の前に差し出された瞬間だった。

美咲の言葉に、波瑠はグラスをテーブルに戻し、視線を落とした。
しばらく沈黙が流れ、やがて小さな声がこぼれる。

「……はい。聞きました」

　グラスの縁を指でなぞりながら、かすかに震える。
「自分のことなら、まだ我慢できます。でも……松田専務や、美咲さん、黒瀬さんの名前まで出て……」

　そこまで言って、言葉が途切れた。
俯いたままの波瑠の表情には、不安と苦しさが色濃くにじんでいた。

　美咲はその姿を静かに見つめ、しっかりとした声音で告げる。
「落合さん。あなたが一番傷ついているのはわかってる。でもね、放っておいたら本当に広がってしまうの。だから――一緒に考えましょう」

　その言葉に、波瑠の胸の奥で張り詰めていた糸が少しだけ緩んだ。