温厚専務の秘密 甘く強引な溺愛

御曹司の覚悟

『……落合さんのことですか』
電話口の美咲の声が、ほんのわずかに低くなる。

「ああ。彼女の行方を知っているか」
圭吾は息を詰めるように言葉を重ねた。

短い沈黙ののち、美咲は落ち着いた調子で答える。
『……実は先週、直接お会いしました。退職のご挨拶を兼ねて』

「退職……?」
圭吾の胸がざわめく。

『ええ。落合さんは会社を辞められました。次の行き先については、詳細はお話になりませんでしたが……東京を離れるつもりだと』

「東京を……離れる……」
握りしめた携帯が、きしむほどに熱を帯びた。

『松田専務……いえ、圭吾さん』
呼び方を変えた美咲の声に、圭吾は思わず息を止めた。

『落合さんのことで、私からも伺いたいことがあります。どこかでお話できませんか? 夫も同席になりますが』

「……黒瀬さんも?」

『はい』

圭吾の胸に、ただならぬ気配が走る。
「……わかりました。では、そうさせてもらいます」

その瞬間、受話口から別の低い声が響いた。
『松田専務、ご無沙汰しています。黒瀬です』

「……黒瀬さん」

『もしよろしければ、わが家へいらっしゃいませんか?』

「あなた方の家へ、ですか?」

『そうです。そのほうが都合がいいんです』

「……わかりました。住所をお願いします」

電話を切ると同時に、圭吾はクローゼットに目をやり、棚に置いていたハワイ島の土産を掴んだ。
次の瞬間にはもう、玄関の扉を押し開けていた。

彼の胸にあるのはただ一つ――波瑠の居場所を知りたい。その執念だけだった。

タクシーに揺られること二十分ほど。
都内の一角にある高層マンションの前で圭吾は降り立った。
エントランスを抜け、案内された部屋の扉が開く。

「どうぞお入りください」
美咲が穏やかに迎え入れる。

リビングに通されると、龍之介が立ち上がり、深々と会釈をした。
「松田専務。……お待ちしておりました」

圭吾は短く息を吐き、首を振る。
「今日はプライベートのことです。……ぜひ、名前で呼んでください」

龍之介は一瞬驚いたように目を瞬かせ、それから静かに頷いた。
「……では、圭吾さん」

その呼び方に変わった瞬間、空気が少しだけ柔らいだ。
だが圭吾の胸の奥には、波瑠の名をめぐる緊張が重くのしかかっていた。

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