温厚専務の秘密 甘く強引な溺愛

御曹司の直感

その頃、東京。
圭吾は執務室の机に広げた報告書を何度も読み返していた。

「……数日前、○○寺で女性の姿があった」
その一文が頭から離れない。

波瑠かもしれない。
確証はない。
だが、それだけで十分だった。

報告書を閉じたまま、圭吾はしばらく机に肘をついて動かなかった。
線香の残り香、住職の証言――すべて辻褄は合っている。
だが胸の奥で、別の声が響いていた。

「……違う」

拳を握りしめ、額に押し当てる。
波瑠は萩にいない。
そう勘が告げていた。

彼女はもっと遠くへ――誰も追いつけない場所へ身を隠したのではないか。

圭吾の呼吸が荒くなる。
理屈ではない。
彼女を愛する者としての直感が、萩では終わらないと訴えていた。

「……必ず見つける。どこにいようと」

低い声でそう呟くと、圭吾の瞳は鋭く光を帯びた。

その夜。
冬空の下、圭吾は自宅のバルコニーに立ち、温かいカプチーノを口に含んだ。
夜風が頬を刺す中、思い出すのは――波瑠と過ごした日々。

最初の出会いの会話から、彼女が何気なく口にした好きなこと。
好きな俳優。好きな作家。本の趣味。
細部まで鮮やかによみがえる。

「……あの時、彼女が言っていた言葉は……」
圭吾は眉を寄せた。
確か、イギリスの女流作家の言葉。名前が出てこない。

震える指でスマートフォンを開き、検索する。
――ジェーン・オースティン。

画面に浮かんだ言葉を、圭吾は声に出して読んだ。
「『過去の記憶がお前に喜びを与えるときにのみ、過去について考えよ』」

その瞬間、全身に電流が走った。
波瑠が身を寄せるのは――父との思い出の場所。
だとしたら、鍵を握るのは母・由紀子に違いない。

「……これだ!」
圭吾の血が騒いだ。

すぐさま柏木へメッセージを送る。
《大切なお話があります。至急、お時間をいただけませんか》

送信ボタンを押すと、圭吾の心臓は激しく鼓動していた。
波瑠への道が、いま開かれようとしていた。

送信ボタンを押して間もなく、スマートフォンが震えた。
画面には「柏木」の名。

《わかりました。明日、明後日でよろしければ、こちらでお待ちしています。時間はいつでも構いません》

思った以上に早い返事に、圭吾の胸は高鳴る。
指先で短く打ち込む。

《ありがとうございます。明日の午後、伺います》

送信を終えた瞬間、圭吾の瞳は鋭く光った。
――いよいよだ。

羽田を飛び立ったのは、まだ夜も明けきらない早朝だった。
機体は静かに滑走路を離れ、東京の街を眼下に遠ざけていく。

約七時間半のフライトを経て――。

窓の外に、陽光を浴びたコナの海岸線が見えてきた。
時計を見れば午前十時。
だがカレンダーの日付は、日本を発った日の「前日」に戻っていた。

「……時差ってやつか」
低く呟きながら、圭吾は深く息を吐いた。

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