君と描く最後のページ
第15章 春の風に君がいた
春の風が、少し冷たくも温かく校庭を吹き抜ける。
 桜のつぼみはまだ硬く、淡い光に照らされて色を変えていく。

 俺はリュックを背負い、校門を出た。
 空は高く、青く、でも胸の奥はどこかぽっかりと空洞になったままだ。

 美桜……いない。
 それはもう現実で、毎朝起きるたびに、体に重くのしかかる。
 でも、俺にはやることがある――彼女が残した「やりたいことリスト」だ。

 最初の項目は……「桜の下でお弁当を食べる」――



 学校の裏庭にある小さな桜の木の下。
 まだ芽は固く、花は咲いていないけれど、日差しは春らしく暖かい。

 ベンチに座り、リュックからサンドイッチを取り出す。
 小さな包みを開くと、昔一緒に買ったチョコチップクッキーも出てきた。
 手に取った瞬間、心の奥がぎゅっとなる。

(……美桜、これ……好きだったよな……)

 少し涙が滲む。
 でも、目を閉じると、あの柔らかい笑顔、ふわふわの茶髪、優しい声――
 全部が鮮明に蘇る。



 深呼吸をして、空気を胸いっぱいに吸い込む。
 鳥の声、風の匂い、桜の幹の手触り――
 すべてが、彼女と過ごした日々を思い出させる。

 サンドイッチをかじり、クッキーを口に入れる。
 味は普通だけど、心の中では美桜が隣にいる気がした。

(……俺、これからも……一つずつ、リストをやっていく……)

 心に決めると、少しだけ胸の奥が温かくなる。
 悲しみはまだ大きいけれど、行動に移すことで、生きている実感が戻ってくる気がした。



 その時、千景がそっと近づいてくる。
「陽翔……今日、桜の下に来たんだ……?」
 声は震えているけれど、微笑んでいる。
 彼女もまた、美桜を想い、支えになろうとしているのが伝わる。

 俺は頷き、ベンチの隣に座らせる。
「……ああ……美桜のやりたかったこと……一緒にやろうと思って」

 千景も微かに笑みを返す。
「……うん……私も手伝う……」
 小さな声だけど、確かな連帯感が生まれる瞬間だった。



 春の光はまだ柔らかく、風がそっと二人の髪を揺らす。
 窓の外の桜はまだつぼみだけど、その木の下で過ごす時間が、少しずつ心を癒してくれる。
 美桜の存在はもういないけれど、記憶の中で、生き続けている。

 手を握り返す千景の温もりが、胸に少しの安心感をくれる。
 涙は溢れるけれど、痛みだけではない――
 悲しみと切なさの中に、温かさと前に進む力が芽生えていた。
 春の日差しが校庭に降り注ぎ、風に乗って柔らかな花の匂いが漂う。
 桜のつぼみは少し膨らみ、木の幹には春の光が反射して淡く輝いていた。

 俺はリストの次の項目を思い出す――
 「公園でスケッチブックに絵を描く」

 学校帰り、近所の小さな公園に向かう。
 ベンチに座り、リュックからスケッチブックを取り出す。
 ペンを握る手は少し震えるけれど、心の奥で美桜が見ている気がした。

(……美桜、俺……これ、ちゃんとやれてるかな……)

 息を整え、空を見上げる。
 青い空にほんの少しの雲、春の風が頬を撫でる。
 鳥の声が耳に届き、木々の葉がかすかに揺れる。
 すべてが、彼女の存在を思い出させる。



 ペンを動かし始めると、指先から少しずつ描かれる風景が心を落ち着かせる。
 桜の木、舞う花びらの影、ベンチに座る俺の影――
 画面の中に、ほんの少しだけ、美桜の笑顔を重ねる。

 手が止まり、胸の奥がぎゅっとなる。
(……やっぱり……隣にいてほしいな……)
 悲しみと切なさが混ざり合い、でもその中に温かさもある。
 生きていた頃の笑顔や声が、五感の中で生きていることを実感する。



 その時、千景がやって来た。
「陽翔……見せて……」
 彼女も手にスケッチブックを持っていて、並んでベンチに座る。

 互いに描いた絵を見せ合うと、自然と笑みがこぼれる。
「美桜なら……こういうの、喜ぶかな」
 千景の声に、胸がぎゅっと熱くなる。
 悲しいけれど、二人でこうして行動することで、美桜がまだここにいるような気がした。



 公園のベンチに座り、春の光を浴びながら描き続ける時間は、悲しみの中の小さな安らぎだった。
 風に乗る花の香り、足元に舞う花びら、遠くで笑う子供たちの声――
 すべてが、美桜と過ごした日々の記憶と交錯し、胸に深く刻まれる。

 リストのページをめくるたびに、悲しみは増すけれど、それ以上に、彼女の思い出を生きる力が湧いてくる。
 千景と並んで描きながら、俺は小さく心の中でつぶやく。

(……美桜、俺……ちゃんとやってるよ……)



 公園を後にして、家に帰る道すがらも、街の音、風、日差しの温もり、遠くに見える桜の木々――
 すべてが美桜を感じさせる。
 涙が頬を伝い、胸が痛むけれど、その痛みもまた、生きている証拠だと感じる。

 家に帰ると、悠斗が待っていて、静かにうなずく。
「陽翔……よくやったな。美桜も、喜んでると思う」
 その言葉に、少しだけ肩の力が抜け、涙をこらえながらも微笑むことができた。

 春の陽射しは日に日に柔らかくなり、街路樹の桜も徐々に色づき始めていた。
 学校から帰る途中、俺はリュックを肩に掛けながら、次のリストのことを考えていた。

 「図書館で絵本を読む」――
 美桜が小さな声で楽しみにしていたその項目。
 胸がぎゅっと痛む。
(……本当に……やっていいのか……でも、これも……美桜の願いだ……)



 図書館の扉を押すと、木の香りと紙の匂いが混ざり、懐かしさと温かさが胸に広がる。
 静かな空間、ページをめくる音、指先に伝わる紙の感触――
 すべてが、美桜と過ごした日々を思い出させる。

 お気に入りの絵本のページを開き、声に出して読んでみる。
 声は少し震えるけれど、目の前の文字や絵に、彼女の笑顔や声が重なる。
(……美桜……喜んでくれてるかな……)



 千景も隣に座り、静かにページをめくる。
「陽翔……やっぱり、こうして一緒にいると、少し……前に進める気がする」
 彼女の声は優しく、でも確かな力がある。
 俺も頷き、目を閉じると風が頬を撫で、春の匂いが鼻をくすぐった。

 その瞬間、胸の奥がじんと熱くなる。
 悲しみはまだ消えないけれど、美桜の思い出が、前に進む力に変わっていく。



 次の日、リストのもう一つの項目――
 「公園でお弁当を食べながら友達と笑う」――を思い出す。
 千景と二人で、公園のベンチに座り、リュックからお弁当を取り出す。
 小さな包みを開くと、クッキーやサンドイッチが並ぶ。

 風に乗る桜の香り、春の光、鳥の声……
 すべてが美桜を思い出させる。
 手に取ったクッキーを口に入れると、記憶の中で美桜が隣に座って微笑む気がした。

(……笑ってくれてるかな……)
 胸の奥が熱くなり、目の奥がじんわりと湿る。
 でも、涙の温かさが、悲しみを和らげる。



 夕方になると、春の光が柔らかく街を染める。
 帰り道、悠斗と偶然会い、互いに静かにうなずく。
「陽翔……よくやってるな……美桜も、喜んでると思う」
 その言葉に、肩の力が少しだけ抜ける。

 家に帰り、窓の外の桜の木を見上げる。
 まだつぼみは固いけれど、春の風に揺れる枝が、未来を少しだけ希望に満ちたものに見せてくれる。

 俺は深呼吸をして、胸の奥でつぶやく。
「……美桜、俺……ちゃんとやってるよ……ずっと忘れない」



 春の光、風、鳥の声、街の音――
 悲しみはまだ胸にあるけれど、温かさも同じくらい大きく広がる。
 美桜のやりたいことリストを一つずつ実行するたびに、彼女の存在を感じ、前に進む力になる。

 切なさと悲しみの中で、でも確かに希望が芽生えていく――
 春の風に乗せて、俺は少しずつ、でも確実に歩き出す。
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