戦場帰りの聖女は「穢れた」と断罪され追放されたけれど、獣人の王に拾われて契約結婚したら溺愛されました~追放した王国が滅びかけて土下座してきましたが私はもう戻りません~
第1章 穢れた聖女と言われた戦場の聖女、契約結婚する。

第01話 戦場帰りの聖女様、王都へ帰還する

 冬の終わりを告げる風が肌を刺すように冷たい。
 泥と血に染まった旅装のまま、セラフィーナ・ミレティスは王都の門へと歩いていた。

 数年に渡る魔族との戦いは終わった。

 何百という兵が倒れ、何千という命があの戦場で失われた。
 そして──セラフィーナは祈り続けた。
 命が尽きかけた者の手を取り、死にゆく者の魂に寄り添い、全身の魔力を削って癒しの力を捧げた。

 ──燃え盛る前線。

 天を焦がす炎の柱と、地を這う黒い瘴気。
 負傷兵が次々と倒れ、断末魔の叫びが響く中、セラフィーナは唯一の癒し手として、ただ祈りを続けた。

 「この者の命を……つなぎとめて……!」

 血に濡れた手を取り、折れた骨に触れ、内臓が破れた傷口に祈りの光を注ぎ込む。
 それは、自分の命を削る行為。
 魔力は枯渇寸前。
 体は震え、意識は何度も飛びかけた。

 それでも、やめなかった。
 そこに、救える命がある限り──それでも、奇跡は何度も起きた。
 彼女の祈りで、多くの兵が生きて戻る事ができたのだ。

 ――それなのに。

 王都に近づくにつれ、セラフィーナの胸にはどこか拭いきれない違和感があった。
 使者は一人も来ない。
 馬車も、迎えも、誰も──いない。

 兵士の一団とともに戦場を発ったのは三日前。
 だが王都が近づくにつれ、彼らは命じられたかのように散り散りになっていった。

「……迎えは、ないのか」

 誰に向けるでもなく呟いた言葉は、冷たい風に溶けて消えていく。
 返事があるはずもなく、それでも言葉にせずにはいられなかった。

 セラフィーナ・ミレティスの肩を覆う外套は、灰色の粗末なものだ。
 もとは王都の神殿が用意した正式な旅装であり、神の加護を象徴する銀の刺繍も施されていた。
 だが今では、その輝きは見る影もなく返り血と泥にまみれて、すっかり黒ずんでいる。

 この姿を、誰が『聖女』だと思うだろう。

(まぁ、仕方ないよな……こんな傷だらけで、返り血を浴びている聖女など、本来ならいないのだから)

 そんな事を考えながら静かに笑っていると、ようやく王都の石造りの城門が見えてきた。
 高くそびえるその門は、セラにとって『帰還』を告げる光のように思えたはずだった。

 ──ほんの少し前までは。

 けれど今、心に湧き上がるのは、重苦しい胸騒ぎだけ。
 門の前には、二人の衛兵が立っていた。
 長槍を持ち、堂々と構えている。
 セラの足音に気づき、一人がこちらへ歩み寄ってきた。

 顔に見覚えがあった。
 王都で任務中に、何度か目が合ったことのある青年兵。
 その瞳は以前、確かに敬意を含んでいたはずだ。

 それなのに──今は違う。

 彼の瞳が、一瞬だけ見開かれる。
 驚きか、戸惑いか、それとも……恐れか。
 何かを言いかけた口が、ぴたりと閉じられた。
 セラはその目を見て、気づいた。
 彼が“『怯えている』事に。

 彼女の服には、赤黒い血が乾いた跡がついている。
 手にも、顔にも、泥と血がこびりついたまま。
 体も傷だらけだし、どう見ても『聖女』に見えないほどの恰好だった。
 だから、微笑もうとした唇をそっと閉じた。

「……聖女様。どうか、お入りください」

 その言葉は、まるで決められた台詞を読み上げているかのようだ。
 声に感情はなく、ただの業務、ただの儀式。
 セラは静かに頷いた。

「――ありがとう。ご苦労さまです」

 丁寧に、けれどどこか他人行儀に応じゆっくりと門をくぐる。

 門をくぐると王都の街並みが広がっていた。
 石畳の道に整然と並ぶ建物。
 人々の行き交う活気──それらすべてが、どこか遠くに感じられた。

 ここは、自分が『帰る場所』だと信じていた街。
 何度も祈りを捧げた神殿も、命を救った人々もこの中にいる。

 けれど──今はもう、どこか違って見えた。

 すれ違う人々の視線が、ちらりとセラフィーナに向く。
 誰も声をかけない。
 誰も、近づかない。
 まるで汚れ物を見るような目。
 あるいは、関わってはいけないものに対する無言の警戒。
 ひとりの幼い子供が、セラを指差しながら母親の袖を引いた。

「ねぇ、あの人……本当に聖女さま?」

 子供の純粋な問いかけに、母親は慌てて目を伏せさせ何も答えなかった。
 そして、背を向けたのである。
 セラフィーナの胸に、小さな違和感が生まれる。
 言葉にはならない、けれど確かに心の奥に広がっていく──そんな冷たさ。

 ──誰も、祝福しない。

 ──誰も、喜ばない。

 ──この街はもう、私を『聖女』として、一人の『人間』としては見ていない。

 セラフィーナ・ミレティスは、ただ静かに歩いた。
 足音だけが石畳に静かに響いている。
 誰にも迎えられず、誰にも頼れず、それでも前を向いて。

 彼女の中で、何かが音を立てて崩れていく。

 同時に、それでも祈りを捨てまいとするわずかな光が胸の奥に残っていた。
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