戦場帰りの聖女は「穢れた」と断罪され追放されたけれど、獣人の王に拾われて契約結婚したら溺愛されました~追放した王国が滅びかけて土下座してきましたが私はもう戻りません~
第14話 静かな夕餉と、小さな気遣い
扉が、静かに閉じられた。
王の執務室の隣にある、さほど広くもない小食堂。
そこには、煌びやかさも豪奢な装飾もない──だが、どこか落ち着きのある空間が広がっていた。
暖かな色合いのランプが壁にかけられ、揺れる光が天井にやわらかな影を落としている。
テーブルの中央には、ふたつの席。
その片方には、すでに男が座っていた。
黒銀の髪を背に流し背筋を伸ばした姿勢のまま、ただ無言で座している。
端整な顔立ちには威圧こそあれど、装飾的な美しさはなく獣のような静謐な気配を纏っている。
──黒狼王《ライグ・ヴァルナーク》
静かに、その椅子に座っている。
鋭い目つきで、こちらに視線を向けながら。
「……どうぞ、座ってくれ」
低く、くぐもった声がひとつ。
セラフィーナは一瞬だけ躊躇し、それからゆっくりと歩み寄って対面の椅子に腰を下ろした。
「その……失礼します」
視線を合わせることもなく、ライグはナイフとフォークを手に取る。
その無骨な手の動きに無駄はなく、所作は簡素でそれでいて洗練されていた。
テーブルに並べられていたのは、素朴な料理だった。
温かな薬草スープに、香草を添えた焼き魚。
柔らかく煮込まれた根菜と豆。
見た目の派手さはないが、すべてが丁寧に仕上げられている。
セラフィーナはスープの香りをかぎ、ふと目を見開いた。
(美味しい……あれ、この香り……まさか)
鼻腔をくすぐるのは、『ひよく草』という西辺境で親しまれる薬草。
嘗て、神殿で過ごしていた頃に修道院の料理人がよく使っていた。
身体を温め、神経を穏やかにする。戦場帰りの心と身体を癒す香りだ。
しかも、器も見慣れたもので──厚みのある陶器、やや小ぶりなサイズ。
使い慣れていたものとよく似ている。
セラフィーナはスプーンを持つ手を、そっと止めた。
(……偶然、じゃない。きっと、誰かが──いや、この人が……)
ちら、と目の前の男を見る。
ライグは、何も語らず、ただ黙々と食事を進めていた。
(……聞いてくれたのかな。一応、色々と側近の人には話をしていたんだけど、それでも聞いて、対応してくれたんだ)
心のどこかで、じんわりと何かが温まっていく。
沈黙が、静かに食卓を満たしていた。
ナイフとフォークの音にスープの湯気、遠くの風のざわめき。
その全てが、まるで心の鼓動を映すように、静かに、優しく流れていた。
「……美味しいなぁ」
呟いたその声は、微かで、けれどテーブルを挟んだ向こう側にも届いた。
ライグが、ふと、ちらりとセラフィーナの手元を見やる。
彼の視線はまるで何かを測るように短く、それでいて……わずかに安堵を滲ませていたように、セラフィーナには見えた。
そして、ぽつりと、言葉が落とされた。
「……何か、足りないものがあれば、侍女に言え」
その声音は、素っ気ない。
まるで事務連絡のような調子で、感情はほとんど見えなかった。
けれど──その必要最低限の『言葉』の中に込められた、彼なりの気遣いにセラフィーナは確かに気づいていた。
「あ、その……ありがとうございます」
穏やかにそう言って、彼女はスープをもう一口すくった。
会話は、それきりだった。
しかし、それ以上のものが、その食卓にはあった。
▽
ライグとの夕食が終わった後、セラフィーナは離れの小さな部屋では机に向かって便箋を広げていた。
ノアとカルミアに返す手紙。
羊皮紙に、小さな文字で、少しずつ言葉を紡いでいく。
『今日は、初めて王様と一緒にごはんを食べました。』
『おしゃべりはあまりしなかったけれど、やさしい味のスープが出ました。』
『……すこしずつ、この場所にも慣れてきた気がします。』
書いているうちに、胸の内にあった緊張が、少しだけほぐれていく。
セラフィーナはそっとペンを置き、窓の外を見る。
夜風がカーテンを揺らし、木々の葉がこすれ合う音が微かに響く。
思い返すのは、あの食卓。
温かな香りに無言のまなざし、そしてぶっきらぼうな言葉──気づかれないふりをしてくれた、静かな配慮。
セラフィーナの唇に、わずかに笑みが浮かぶ。
(この人は、たぶん……とても不器用だけれど……それでも、ちゃんと気にかけてくれている)
部屋の明かりが、彼女の背をあたたかく照らす。
静かな夜は、どこかやさしく穏やかだった。
王の執務室の隣にある、さほど広くもない小食堂。
そこには、煌びやかさも豪奢な装飾もない──だが、どこか落ち着きのある空間が広がっていた。
暖かな色合いのランプが壁にかけられ、揺れる光が天井にやわらかな影を落としている。
テーブルの中央には、ふたつの席。
その片方には、すでに男が座っていた。
黒銀の髪を背に流し背筋を伸ばした姿勢のまま、ただ無言で座している。
端整な顔立ちには威圧こそあれど、装飾的な美しさはなく獣のような静謐な気配を纏っている。
──黒狼王《ライグ・ヴァルナーク》
静かに、その椅子に座っている。
鋭い目つきで、こちらに視線を向けながら。
「……どうぞ、座ってくれ」
低く、くぐもった声がひとつ。
セラフィーナは一瞬だけ躊躇し、それからゆっくりと歩み寄って対面の椅子に腰を下ろした。
「その……失礼します」
視線を合わせることもなく、ライグはナイフとフォークを手に取る。
その無骨な手の動きに無駄はなく、所作は簡素でそれでいて洗練されていた。
テーブルに並べられていたのは、素朴な料理だった。
温かな薬草スープに、香草を添えた焼き魚。
柔らかく煮込まれた根菜と豆。
見た目の派手さはないが、すべてが丁寧に仕上げられている。
セラフィーナはスープの香りをかぎ、ふと目を見開いた。
(美味しい……あれ、この香り……まさか)
鼻腔をくすぐるのは、『ひよく草』という西辺境で親しまれる薬草。
嘗て、神殿で過ごしていた頃に修道院の料理人がよく使っていた。
身体を温め、神経を穏やかにする。戦場帰りの心と身体を癒す香りだ。
しかも、器も見慣れたもので──厚みのある陶器、やや小ぶりなサイズ。
使い慣れていたものとよく似ている。
セラフィーナはスプーンを持つ手を、そっと止めた。
(……偶然、じゃない。きっと、誰かが──いや、この人が……)
ちら、と目の前の男を見る。
ライグは、何も語らず、ただ黙々と食事を進めていた。
(……聞いてくれたのかな。一応、色々と側近の人には話をしていたんだけど、それでも聞いて、対応してくれたんだ)
心のどこかで、じんわりと何かが温まっていく。
沈黙が、静かに食卓を満たしていた。
ナイフとフォークの音にスープの湯気、遠くの風のざわめき。
その全てが、まるで心の鼓動を映すように、静かに、優しく流れていた。
「……美味しいなぁ」
呟いたその声は、微かで、けれどテーブルを挟んだ向こう側にも届いた。
ライグが、ふと、ちらりとセラフィーナの手元を見やる。
彼の視線はまるで何かを測るように短く、それでいて……わずかに安堵を滲ませていたように、セラフィーナには見えた。
そして、ぽつりと、言葉が落とされた。
「……何か、足りないものがあれば、侍女に言え」
その声音は、素っ気ない。
まるで事務連絡のような調子で、感情はほとんど見えなかった。
けれど──その必要最低限の『言葉』の中に込められた、彼なりの気遣いにセラフィーナは確かに気づいていた。
「あ、その……ありがとうございます」
穏やかにそう言って、彼女はスープをもう一口すくった。
会話は、それきりだった。
しかし、それ以上のものが、その食卓にはあった。
▽
ライグとの夕食が終わった後、セラフィーナは離れの小さな部屋では机に向かって便箋を広げていた。
ノアとカルミアに返す手紙。
羊皮紙に、小さな文字で、少しずつ言葉を紡いでいく。
『今日は、初めて王様と一緒にごはんを食べました。』
『おしゃべりはあまりしなかったけれど、やさしい味のスープが出ました。』
『……すこしずつ、この場所にも慣れてきた気がします。』
書いているうちに、胸の内にあった緊張が、少しだけほぐれていく。
セラフィーナはそっとペンを置き、窓の外を見る。
夜風がカーテンを揺らし、木々の葉がこすれ合う音が微かに響く。
思い返すのは、あの食卓。
温かな香りに無言のまなざし、そしてぶっきらぼうな言葉──気づかれないふりをしてくれた、静かな配慮。
セラフィーナの唇に、わずかに笑みが浮かぶ。
(この人は、たぶん……とても不器用だけれど……それでも、ちゃんと気にかけてくれている)
部屋の明かりが、彼女の背をあたたかく照らす。
静かな夜は、どこかやさしく穏やかだった。