戦場帰りの聖女は「穢れた」と断罪され追放されたけれど、獣人の王に拾われて契約結婚したら溺愛されました~追放した王国が滅びかけて土下座してきましたが私はもう戻りません~

第24話 紹介される舞踏会

 離れの館に、秋の風が吹き込む午後。
 文机の前で書類をまとめていたセラフィーナは控えの間から足音が近づいてくるのに気づく。

 ──コン、コン。

「ああ……ではなく、はい、どうぞ」

 扉が静かに開き、黒銀の髪を揺らして入ってきたのはほかならぬ──ライグだった。
 その姿を見て、セラフィーナは少し驚いた顔をする。
 彼がこんな時間に何の前触れもなく離れを訪れるのは、珍しい。

「こんにちは陛下……その、何かご用ですか?」
「ああ、突然で申し訳ないのだが一つ伝えておく事が出来た」
「伝えておく事?」

 ライグは扉を閉じ、窓辺の椅子に腰を下ろした。
 無表情のまま、低く短く告げる。

「──急遽、舞踏会を開くことにした」

 セラフィーナは一瞬、目をぱちくりとさせる。

「え……舞踏会、ですか?」
「そうだ……王城主催で、明晩――招待状はすでに貴族たちへ手配してある」

「は、はい?そんな急に、どうして……?」

 驚くセラフィーナに、ライグは静かに視線を向けた。

「……お前を紹介する必要があるからな」

 あまりにあっさりとしたその言葉に、セラフィーナは思わず言葉を失った。

「──えっ」
「契約婚とはいえ、お前は『王妃』だ。妻として顔を知られておくべきだと考えた。これ以上、陰で憶測や噂が広がるのは得策ではない」

 それは、王としての冷静な判断に聞こえる。
 けれどその目には、わずかな優しさのようなものが宿っていた。
 セラフィーナは、戸惑いながらも問う。

「……それって、私が『妻』として正式に認められるという意味、ですよね?」
「ああ」
「でも……それなら、私は……」

 セラは思わず言いかけて、唇を噛んだ。

 契約した王妃──形式上の妻にすぎない自分が、王の隣に立つことに躊躇がないと言えば嘘になる。
 だが、そんな彼女の迷いを見透かしたように、ライグはぽつりと続けた。

「……自信がないなら隣に立つなとは言わない。だが、顔を上げていろ……お前はこの国にとって、もはや『他者』ではない」

 静かに告げられたその言葉が、胸の奥を叩いた。

 ──この国にとって、『他者』ではない。

 それは、彼の口から与えられた初めての居場所のように感じられた。
 セラフィーナはゆっくりと息を吸い込み、静かに頷いた。

「……わかりました。恥をかかないよう、がんばります」
「お前が立っているだけで、十分だ」

 そう言って、ライグは立ち上がる。
 いつものように背を向け、扉へ向かおうとしたその時──

「……陛下」

 セラフィーナが呼び止めると、彼は足を止め、肩越しに振り返った。

「……ありがとうございました」

 彼女の言葉に、ライグは何も言わなかった。
 だが、ほんの一瞬だけ目元がやわらいだように見えたのはきっと気のせいではない。
 扉が静かに閉じられたあと、セラフィーナは自分の胸にそっと手を当てる。

(……明日、私は『この国』に立つのね)

 その鼓動は、少しだけ早く感じた。

    ▽

 獣人国の王都、その中央に佇む壮麗な庭園ホール。
 夜の帳が降りると同時に、無数の灯火が咲き乱れるように煌めき、白亜の回廊には貴族たちの華やかな衣装が波のように揺れていた。
 この夜は、王と王妃──いや、「王とその契約妻」を、表向きには王宮内の貴族たちに初めてお披露目する舞踏会だった。
 演奏隊の静かな前奏が終わると、ホールの中央に続く階段の上に二つの影が現れる。

 黒銀の髪を背に流し、金の瞳を静かに光らせた王、ライグ=ヴァルナーク。

 そしてその隣に並ぶのは、淡い青のドレスを身にまとい、落ち着いた気品を纏った人間の女性──セラフィーナ・ミレティス
 彼女の存在は、王の『契約した王妃』として、王宮の内々では知られ始めていたものの、こうして人前に姿を現すのは初めてだった。
 セラフィーナが『契約した王妃』になったのには、自分の身を護るためだと言う事も、一部の貴族から伝えられている。

「……あれが、人間の──?」
「聞いたことあるわ、『契約した王妃』様なんでしょう?自分の身を守るために……」
「でも、隣に立っているということは……?」

 会場のあちこちで、小さくささやき声が交錯する。
 好奇の視線、疑念、驚き、嫉妬。
 あらゆる感情がその場に渦巻いていた。
 だが、セラフィーナはそれらを静かに受け止めるように、ゆるやかに微笑んだ。
 視線を逸らさず、肩を張らず。
 ただそこに立つことを選んだ姿は、王の隣に相応しいほどに凛としていた。
 ライグは言葉を発さずとも、その隣に立つ者として彼女を迎え入れていることを、何よりその沈黙と並び立つ姿で示していた。

(私は王妃私は王妃私は王妃――)

 まさかぶつぶつと心の中で呟いているだなんて、誰も気づかないだろう。
 内心彼女の心の中ではボロを出さないようにしているのがやっとなのである。

 そして──遅れて、もうひとつの注目が集まる。

 白い扇のような毛並みの尾が、優雅に揺れる。
 雪のような白銀の髪。蒼玉の瞳に洗練された深紅のドレスに身を包んだ、白狐族の令嬢、クラウディア・レイゼンが登場したのだ。
 その美しさは、誰の目にも明らかだった。
 人を寄せつけぬような完璧さと、王族に並ぶ気品を携え、彼女は舞踏会の入り口からゆっくりと歩を進める。

 その視線がふと、階段の上──セラフィーナに向けられる。

 一瞬の事だった。
 けれどその眼差しには、確かに宿っていた。

 ──そこは、もともと『私』の立つ場所だった。

 そんな想いを滲ませる、静かな主張。

 セラフィーナはその視線に気づく。
 そして、にこりと笑った。
 けれど、それは挑発ではない。
 凛とした意思を込めた、穏やかな微笑み。
 まるで、自分の居場所はここなのだろうと言う主張のように。

 クラウディアはその笑みに対し、目元をほんのわずかに細めただけで何も言わずに視線を逸らした。

 ──この夜、契約の真実が晒されるか否かは、まだ誰にも分からない。

 だが、王の隣に立つ『ただの人間の女』は、もうただ守られるだけの存在ではなかった。
 彼女自身が『立つ』ことを選んだ以上、この舞踏会の意味もまた変わっていくのかもしれない。
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