戦場帰りの聖女は「穢れた」と断罪され追放されたけれど、獣人の王に拾われて契約結婚したら溺愛されました~追放した王国が滅びかけて土下座してきましたが私はもう戻りません~

第26話 暗殺者の襲撃

 華やかな音楽が響く王城の舞踏会。
 絹のドレスが波のように揺れ、グラスの澄んだ音が交錯する。
 シャンデリアの光は貴族たちの笑顔と刺繍に反射して、夜会の空気に煌めきを添えていた。
 その中心──赤と金の絨毯の先に立つのは、この国の王、ライグ・ヴァルナーク。
 黒銀の髪を束ね、堂々とした立ち姿は誰よりも目を引き、その隣には淡い青のドレスを纏う王妃、セラフィーナ・ミレティスの姿があった。
 薄く透けるケープが夜風に揺れ、彼女の静かな気配を包み込むように漂っていた。

 ──そして、その時。

「陛下、少しだけお時間を……」

 優雅に人混みを抜けて近づいてきたのは一人の給仕姿の男だった。
 清潔な制服に整った物腰。声もよく通る。
 一見して不審な点はなかった。誰もがそう見えたはずだ。

 だが──セラフィーナの直感が、警鐘を鳴らしていた。

 何かがおかしい。
 男が近づいた瞬間、目の端に閃いた銀光。
 その気配に、彼女の体は自然と動いていた。

「──ライグ!!」

 叫びと同時に、セラフィーナは駆け出していた。
 迷いなく、隣に控えていた騎士の腰から剣を抜く。
 細身の片手剣。手に馴染んだ重み。かつての戦場が脳裏に過った。
 舞踏会の音楽が、水底に沈むように遠ざかる。
 すべてが、静寂の中で研ぎ澄まされる。

 ──男の袖から、短剣が振り上げられた。

「させない……ッ!」

 鋼と鋼がぶつかる、甲高い金属音。
 セラフィーナの剣が、男の凶刃を弾き飛ばす。
 そして一瞬の隙を逃さず、セラフィーナの体が回り込む。
 足払いで男の体勢を崩し、倒れ込んだその腕を、膝で押さえ込む。

「ぐ……ッ!?」

 剣の切っ先が、男の喉元に静かに突きつけられた。

 ──その姿は絢爛な舞踏会のただ中でありながら、まるで『戦士』であり、『騎士』のようだった。

 裾が揺れ、金の髪が舞う。
 セラフィーナは、戦場で仲間の背を守り続けた、嘗ての『聖女』ではなく──戦う者としての自分を取り戻しているかのように。

 大広間は、水を打ったように静まり返っていた。

 給仕に化けた男は、すでに気絶寸前。
 駆けつけた衛兵たちが彼を拘束しようとするのを見て、
 セラは一度、剣を下ろし──そっと立ち上がる。

「ご無事ですか、陛下……」

 静かに息を整えながら、ライグの方へと身体を向ける。
 ドレスの裾には、床を滑った跡と僅かな血の飛沫が残っていた。

 ──その時、セラフィーナの背後で、かすかに呻き声が上がる。

「……っ!」

 男はまだ意識を保っていた。
 拘束の隙を突いて、力任せに腕を振り上げる。
 狙いは──そのまま、近くにいたクラウディア。
 彼女は咄嗟に動けなかった。
 視線を奪われたまま、息すら忘れていたから。

「させるかっ!」

 次の瞬間──セラフィーナが振り返りざま全力で蹴りを放った。

 ドレスの裾が宙に舞う。
 常ならぬ行為に、誰もが息を呑む中──その蹴りは、男の顎を正確に打ち抜いた。

「──がっ……!」

 鋭い音とともに、男の身体がくの字に折れ、その場に沈む。
 白目を剥き完全に気絶していたのを確認する。
 衛兵がすぐに飛びつき、ようやく男の身体を完全に押さえ込む。

 セラフィーナは息を静かに吐いた後、剣も構え直さずそのまま男を見下ろして一言。

「……仮面の下からでも、殺意は隠しきれてないぞ」

 凛とした声が、広間に静かに響いた。
 音もなく、ライグが彼女に歩み寄っていた。

「……傷はないか」

 低く、押し殺された声音。
 その奥には、怒りと、明確な焦りがある。

「あ、あはは……平気です。私は、無事です」

 セラフィーナは微笑んで答えた。
 けれど、その指先は、かすかに震えていた。
 恐怖ではない──ただ、一歩でも判断が遅れれば誰かの命が失われていたという緊張の余韻が、体の奥に残っていた。

 そんな彼女の姿を――誰かが、息を呑んで見つめていた。

 クラウディア・レイゼン。
 金の瞳を大きく見開き、言葉を失ったまま、そこに立ち尽くしている。
 完璧に整えられた令嬢の仮面はその瞬間、音もなく剥がれ落ちていた。
 彼女は、何かに突き動かされるように一歩踏み出す。
 それは衝動にも似た、無意識の動きだった。

「……セラフィーナ様……なんて……勇敢で……素敵な……」
「…………え?」

 震える声は、しかし真っ直ぐな言葉だった。
 思わずセラフィーナは変な声を出してしまう。
 彼女のその瞳は、キラキラとしながらめちゃくちゃ輝いている様子が見られていた。
 クラウディアはそっと歩み寄り、セラフィーナの両手をそっと取る。
 その手がまだ微かに震えていることに気づいた時、彼女の表情が揺れた。

「あなたは、この国にとってなくてはならない存在……本当に、この国の……誇りうる守り手だと、今、心から思いましたわ……セラフィーナ様」
「あ……あれ?」

 その言葉を受けて、セラフィーナは一瞬だけ目を見開いて、どうしてこのようになってしまったのか理解出来ないまま――そして、静かに微笑んだ。
 いや、微笑む事しか出来なかった。

(あー……なるようになれ)

 そのように考えながら、とりあえず笑うのだった。

 その日、この国で語り継がれる事が一つできた──人間の王妃が、王の命を救った夜として。
< 26 / 57 >

この作品をシェア

pagetop