戦場帰りの聖女は「穢れた」と断罪され追放されたけれど、獣人の王に拾われて契約結婚したら溺愛されました~追放した王国が滅びかけて土下座してきましたが私はもう戻りません~
第28話 ライグの想い
舞踏会が終わった夜、王城の奥。
静まり返った回廊を抜けた先にある、王の私室──そのテラスに一つの影が佇んでいた。
風が高い位置から吹き抜け、石造りの欄干に冷たい夜気を残していく。
月は高く、白く、美しく、静かに空に浮かんでいた。
セラフィーナは、その月を仰ぎながら、手すりに指を添えたまま立っていた。
舞踏会の装いのまま。
ドレスの裾には、まだ少しだけ土埃と乱戦の痕跡が残っている。
けれど彼女は気にする素振りもなく、ただ風に身を委ねていた。
(……どこで、間違えたんだろう)
誰にも言えない問いが、胸の奥に浮かんでは消えていく。
ただ、護りたかっただけ。
王の背に向けられた刃を──何よりも早く見つけてしまったから。
身体が勝手に動いただけ。
理屈なんて、ない。
(うーん……王妃として、ちゃんと陛下とクラウディア様を守ったはずなんだけどなァ……)
ほんの少し、肩の力が抜けるような心の呟き。
冗談めいているけれど、そこには誠実な想いが籠っている。
それだけのはず、なのに──なぜか、胸の奥には重たい何かが残っていた。
「……あんなことは、二度とするな」
背後から、低く、けれど感情の滲んだ声が響いた。
セラフィーナが振り返ると、そこにライグの姿があった。
舞踏会の正装のまま、着替えもせずに現れた彼の瞳には、今夜誰よりも深い静けさと、強い熱が宿っていた。
「……へ、陛下」
「無傷だったと報告は受けていた。だが……この目で見るまでは、信じられなかった」
ゆっくりと歩み寄るその足取りに、いつもの威圧感はなかった。
まるで……確かめるように、恐る恐る近づいてくるような。
「お前が近くの騎士の剣を勝手に抜いた時……俺は──」
一度、言葉が詰まった。
それでも搾り出すように続ける。
「……心臓が止まるかと思った」
その声音に、セラフィーナの瞳が僅かに揺れる。
彼がこんなにも感情を露わにするのは……もしかすると、初めてだった。
「私は……あの場にいて、あなたを守ると決めていましたから」
短くそう答える。
言い訳でも、誇示でもない。
ただ、自然に浮かんできた言葉だった。
けれど、続くように、少しだけ困ったような笑みを浮かべる。
「……それに、私……昔は、戦場にもいましたから。多少の立ち回りくらいは、まだ身体が覚えているんです。『聖女』と呼ばれていた頃も実際は祈るだけじゃなくて、刃の届く場所に立つことのほうが多くて……」
セラフィーナは、どこか冗談めかして肩をすくめる。
あくまで『軽く』話そうとしているのに、声はほんの少しだけ震えていた。
「だから、その……反射みたいなものです。考えるより先に、身体が動いちゃって……」
まるで、罪を軽くするための言い訳のように。
けれど、その瞳の奥には戦場の光景を知る者だけの影が確かに宿っていた。
ライグは黙ってその言葉を受け止め、月明かりの中で目を細める。
だが、その表情は『安堵』ではない。
黄金の瞳の奥に浮かぶのは、怒りでも悲しみでもない。
ただ、何かを押し殺すような静けさ──まるで、自分の知らぬ場所で彼女が何度も死線を越えてきた事を、今さら思い知らされたかのような、痛みに似た表情だった。
月明かりが、彼の横顔を淡く照らす。
その光は冷たく、けれど確かに、彼の胸の内を映していた。
そして──次の瞬間。
その大きな腕が、そっとセラフィーナの肩を抱き寄せた。
ふいに落ちてきた温もりに、彼女は一瞬だけ息を呑む。
だが、拒まなかった――ただ、戸惑いながらもそっとその胸に額を預ける。
「……もう、あんなことはするな」
耳元に落ちたその声は、小さく、わずかに震えていた。
「俺が、お前を守る……確かにお前は契約で結婚した妻で、王妃だ……しかしそんなの関係ない。お前はもう……俺のものだ」
その言葉に、セラフィーナの胸が静かに波打った。
(え……?)
心が、ふわりと浮かぶような感覚。
それは、熱を帯びた光のように、彼女の中に差し込んでくる。
──ずっと、そう呼ばれてきた。
一部の貴族たちからは契約の妻。
形式だけの王妃。
誰にも触れられない、守られるだけの存在。
(……私だって、同じように思っていたはずだ。誰かを守るために、戦うしかなかった。けれど──あなたは、違うのか?)
しかし、今。
この腕の中に抱かれていると──確かに、それだけじゃない何かがあった。
とりあえず離れようとしたのだが、ライグの力の方が強すぎて、離れられない。
少し、諦めた顔をしながらセラフィーナが答えた。
「……わかりました。でも、もし……また誰かが陛下を傷つけようとするなら──」
セラフィーナは、そっと彼の胸元に顔を寄せながら囁く。
「私は、また剣を取ります」
その言葉に、ライグの肩がわずかに動く。
ほんの一瞬、呼吸が止まったような沈黙。
そして──
「……やっぱりお前は、手に負えん」
その声音には呆れと、それ以上のものが滲んでいた。
憤りでも困惑でもない、ただ静かに──愛しさが滲む。
そして次の瞬間、彼の腕が、わずかに力を込める。
まるで、壊れものを抱くように。
それでいて、もう二度と手放すまいとするように。
月明かりの下、二人の影がゆっくりと重なり合う。
夜風が、王城のテラスをすり抜けていく。
それは確かに秋の冷たさを孕んでいたが──セラフィーナは、もうその冷たさを感じてはいなかった。
静まり返った回廊を抜けた先にある、王の私室──そのテラスに一つの影が佇んでいた。
風が高い位置から吹き抜け、石造りの欄干に冷たい夜気を残していく。
月は高く、白く、美しく、静かに空に浮かんでいた。
セラフィーナは、その月を仰ぎながら、手すりに指を添えたまま立っていた。
舞踏会の装いのまま。
ドレスの裾には、まだ少しだけ土埃と乱戦の痕跡が残っている。
けれど彼女は気にする素振りもなく、ただ風に身を委ねていた。
(……どこで、間違えたんだろう)
誰にも言えない問いが、胸の奥に浮かんでは消えていく。
ただ、護りたかっただけ。
王の背に向けられた刃を──何よりも早く見つけてしまったから。
身体が勝手に動いただけ。
理屈なんて、ない。
(うーん……王妃として、ちゃんと陛下とクラウディア様を守ったはずなんだけどなァ……)
ほんの少し、肩の力が抜けるような心の呟き。
冗談めいているけれど、そこには誠実な想いが籠っている。
それだけのはず、なのに──なぜか、胸の奥には重たい何かが残っていた。
「……あんなことは、二度とするな」
背後から、低く、けれど感情の滲んだ声が響いた。
セラフィーナが振り返ると、そこにライグの姿があった。
舞踏会の正装のまま、着替えもせずに現れた彼の瞳には、今夜誰よりも深い静けさと、強い熱が宿っていた。
「……へ、陛下」
「無傷だったと報告は受けていた。だが……この目で見るまでは、信じられなかった」
ゆっくりと歩み寄るその足取りに、いつもの威圧感はなかった。
まるで……確かめるように、恐る恐る近づいてくるような。
「お前が近くの騎士の剣を勝手に抜いた時……俺は──」
一度、言葉が詰まった。
それでも搾り出すように続ける。
「……心臓が止まるかと思った」
その声音に、セラフィーナの瞳が僅かに揺れる。
彼がこんなにも感情を露わにするのは……もしかすると、初めてだった。
「私は……あの場にいて、あなたを守ると決めていましたから」
短くそう答える。
言い訳でも、誇示でもない。
ただ、自然に浮かんできた言葉だった。
けれど、続くように、少しだけ困ったような笑みを浮かべる。
「……それに、私……昔は、戦場にもいましたから。多少の立ち回りくらいは、まだ身体が覚えているんです。『聖女』と呼ばれていた頃も実際は祈るだけじゃなくて、刃の届く場所に立つことのほうが多くて……」
セラフィーナは、どこか冗談めかして肩をすくめる。
あくまで『軽く』話そうとしているのに、声はほんの少しだけ震えていた。
「だから、その……反射みたいなものです。考えるより先に、身体が動いちゃって……」
まるで、罪を軽くするための言い訳のように。
けれど、その瞳の奥には戦場の光景を知る者だけの影が確かに宿っていた。
ライグは黙ってその言葉を受け止め、月明かりの中で目を細める。
だが、その表情は『安堵』ではない。
黄金の瞳の奥に浮かぶのは、怒りでも悲しみでもない。
ただ、何かを押し殺すような静けさ──まるで、自分の知らぬ場所で彼女が何度も死線を越えてきた事を、今さら思い知らされたかのような、痛みに似た表情だった。
月明かりが、彼の横顔を淡く照らす。
その光は冷たく、けれど確かに、彼の胸の内を映していた。
そして──次の瞬間。
その大きな腕が、そっとセラフィーナの肩を抱き寄せた。
ふいに落ちてきた温もりに、彼女は一瞬だけ息を呑む。
だが、拒まなかった――ただ、戸惑いながらもそっとその胸に額を預ける。
「……もう、あんなことはするな」
耳元に落ちたその声は、小さく、わずかに震えていた。
「俺が、お前を守る……確かにお前は契約で結婚した妻で、王妃だ……しかしそんなの関係ない。お前はもう……俺のものだ」
その言葉に、セラフィーナの胸が静かに波打った。
(え……?)
心が、ふわりと浮かぶような感覚。
それは、熱を帯びた光のように、彼女の中に差し込んでくる。
──ずっと、そう呼ばれてきた。
一部の貴族たちからは契約の妻。
形式だけの王妃。
誰にも触れられない、守られるだけの存在。
(……私だって、同じように思っていたはずだ。誰かを守るために、戦うしかなかった。けれど──あなたは、違うのか?)
しかし、今。
この腕の中に抱かれていると──確かに、それだけじゃない何かがあった。
とりあえず離れようとしたのだが、ライグの力の方が強すぎて、離れられない。
少し、諦めた顔をしながらセラフィーナが答えた。
「……わかりました。でも、もし……また誰かが陛下を傷つけようとするなら──」
セラフィーナは、そっと彼の胸元に顔を寄せながら囁く。
「私は、また剣を取ります」
その言葉に、ライグの肩がわずかに動く。
ほんの一瞬、呼吸が止まったような沈黙。
そして──
「……やっぱりお前は、手に負えん」
その声音には呆れと、それ以上のものが滲んでいた。
憤りでも困惑でもない、ただ静かに──愛しさが滲む。
そして次の瞬間、彼の腕が、わずかに力を込める。
まるで、壊れものを抱くように。
それでいて、もう二度と手放すまいとするように。
月明かりの下、二人の影がゆっくりと重なり合う。
夜風が、王城のテラスをすり抜けていく。
それは確かに秋の冷たさを孕んでいたが──セラフィーナは、もうその冷たさを感じてはいなかった。