戦場帰りの聖女は「穢れた」と断罪され追放されたけれど、獣人の王に拾われて契約結婚したら溺愛されました~追放した王国が滅びかけて土下座してきましたが私はもう戻りません~

第03話 偽りの噂、ねじ曲げられた真実

 追放を宣告された翌日――セラフィーナ・ミレティスは最後の私物を取りに王都の神殿へと戻った。
 その道中、彼女の周囲には常に『声』がついて回る。
 ひそひそと、しかし明確に悪意を持ってささやかれる声。

「……聖女って、男たちの間を渡り歩いたって聞いたわ」
「魔族と取引して力を得てたんですって」
「えっ、それもう『魔女』じゃない」
「ほら、あの目に体に少し見える傷跡……本当に聖女だったのかしら?」

 嘘、誹謗、中傷――どれも、事実無根だ。
 だが、噂は真実よりも速く、強く人々の心に刻まれる。
 それが、今の王都だった。

(……戦場では、無傷では済まなかった)

 生きているだけがやっとの世界だった。
 戦場の中で、自分が傷だらけになりながらも、戦っている兵士たちに力を、癒しを渡すためには体を犠牲にしなければならない。
 彼女の体は既に全身、傷だらけの状態だっただけなのに――セラフィーナはため息を吐いた。

 神殿に着いたとき、彼女はかつての同僚の姿を見つけた。
 貴族家の令嬢であり神官候補として共に祈りを学んだ少女──クラリッサ・ローデル。

「……クラリッサ」

 セラフィーナが声をかけると、少女はビクリと肩を震わせた。
 そして──逃げた。
 振り返りもせず、顔を隠すようにしてその場を離れていった。

「……そう、か。薄情だな」

 セラは力なく微笑む。
 彼女はかつて、セラフィーナのことを「姉さま」と呼び慕ってくれていた。
 それでも、もう関係ないのだ。
 「穢れた」者と関われば、自分まで疑われる、と。
 
「聖女セラフィーナ。お戻りでしたか」

 静かな声に振り返ると、教会長ベネディクトゥスが廊下の向こうに立っていた。

「……私の荷を引き取りに来ました。それだけです」
「それがよいでしょう。あなたが長くここに留まれば教会の名にも傷がつきます」
「……教会が、私を見限った理由は『穢れ』だけですか?」

 セラは立ち止まったまま、問いを投げた。

「いえ、他にも理由がありますよ」

 ベネディクトゥスは微笑んだ。笑っているのに、目は笑っていない。

「聖女とは、『象徴』なのです。清く、神聖で、美しく、疑われることなき存在──それを貴女は、失った。いえ、自ら手放したといってもいいでしょう」
「私は、信じた祈りを貫いただけです」
「それが『正しかった』と、貴女が思っているのなら……それでいいのでしょう。ただ、教会は『正しい』事より『信じられる事』を選ぶ。それだけです」

 あまりにも淡々とした口調だった。

 信仰の中心に立つ者の言葉ではない。
 それは、政治であり都合だ。

 セラフィーナはその場を去った。
 怒りも、悔しさも、もう湧かない。
 ただただ、心が冷えていくだけだった。

 その夜――神殿の一室で荷をまとめながら、セラフィーナはふと、ひとつの紙片を見つけた。
 それは古い聖典の切れ端で、かつてクラリッサが彼女に贈ったものだった。

《祈りは、血を流す者にこそ届く》

「……ありがとう、クラリッサ」

 その言葉を読み、彼女は初めて目に涙を浮かべた。

   ▽

 王都の外門へ向かう石畳の道。
 その両脇には、いつのまにか人だかりができていた。

 セラフィーナは一歩ずつ、そこを歩く。

 人々の視線が刺さる――憐れみも、悲しみも、敬意も、ない。
 ただ、冷たい好奇心と、蔑みだけがあった。

「穢れた聖女が通るぞ」
「呪われてるんじゃないのか?」
「戦場で男漁りをしていたって噂だぞ」
「神の罰を受けたんだよ、ざまあみろ」

 口々に浴びせられる言葉。
 セラフィーナは顔を上げない。うつむいたまま、ひたすら前を向いて歩く。

 足元に何かが飛んできた。
 乾いた音と共に、石が彼女の脛に当たる。
 次の瞬間、いくつかの小石が飛んできた。
 誰かが投げた。
 誰が、なんて、もう分からない。

「早く出ていけ!」
「お前なんか、聖女じゃない!」

 ──痛くない。

 投げられた小石も、汚い言葉も、もう胸を打たない。
 それよりも、心の奥に、冷たい空洞ができていく。

 だが――その中に、ひとつだけ違う声があった。

「……あなたの、力に……救われたんだよ……ありがとう」

 小さく、かすれた声だった。
 セラフィーナが顔を上げると、人混みの中に老いた兵士の姿があった。

 ひどく痩せた体、片足を引きずって立っているその男は何も持たず、ただ帽子を胸に当てて頭を下げていた。
 声は届かないはずなのに、なぜか、セラフィーナには聞こえた。

 ──私は、あなたに救われた。

 その想いだけが、確かに届いた。
 セラは小さく、会釈をした。
 そして、また前を向く。

 外門が見える――その先には、もう二度と戻ることのない王都の外がある。
 門を守る衛兵たちは、セラを見ても動かない。
 誰一人、見送ることもしなかった。

 それでも、彼女は歩く。

 震える足で。
 震える指でマントを握りしめて。
 それでも一歩ずつ、進む。

 ──神よ、もし、まだ私を見てくださるのなら。

 ――どうか、あの兵士の心が、どうか安らかでありますように。

 セラフィーナは心の中で、ひとつだけ祈った。

 自分のためではなく。
 誰の命令でもなく。
 ただ、己の意志で。

 冷たい風が吹いた。

 けれどその中に、ほんの少しだけ温もりを感じた気がして─―セラフィーナは、王都を後にした。
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