戦場帰りの聖女は「穢れた」と断罪され追放されたけれど、獣人の王に拾われて契約結婚したら溺愛されました~追放した王国が滅びかけて土下座してきましたが私はもう戻りません~
第30話 その言葉の重さ
謁見の間から使節団が引き上げたのは、夕刻が迫る頃だった。
空には深まる秋の雲が広がり冷たい風が城の石壁を撫でる。
セラフィーナは廊下の一角で足を止め、窓越しに見える庭の木々を見つめていた。
さきほどの使者たちの言葉が、まだ胸の奥で燻っている。
(……契約妻、か……まぁ確かに、白い結婚みたいなものだけどなぁ)
あれほど決然と否定したはずなのに、あの男の一言には確かに過去の傷を押し開く力があった。
だが、今のセラフィーナにはもうそれを恐れる理由がない。
「セラ様」
控えめな呼び声とともに、ふわりと甘い香水の匂いが漂ってくる。
振り向くと、そこにいたのはクラウディア・レイゼンだった。
彼女の表情には、ふだんの気高い微笑みではなく、心配と、どこか言葉を探しているような不器用さがあった。
「ご気分は……いかがですの?」
「……ええ、大丈夫です」
「無理をなさらなくてよくてよ?私、あなたが王都の人間にあんな物言いをされたこと、見ていてとても、腹立たしかったわ」
フンっといいながら答えるクラウディアの目は真っ直ぐだった。
揶揄も、警戒も、嫉妬もない。
ただ、彼女なりの「怒り」と「心配」だけが、そこにはあった。
セラフィーナは一つ息を吸って、少しだけ笑った。
「……クラウディア様は、王都の事情……どこまでご存知ですか?」
「聖女が失踪したと、そう報告は受けていますわ。けれど、詳しいことは……」
「……私は、その『失踪した聖女』でした……あと、『失踪』したんじゃなくて、『追放』されたんですけどね」
クラウディアの目が大きく見開かれる。
「癒しの力があると評され、幼い頃から『聖女』として仕えました。戦場に行き、魔物と戦う騎士たちの怪我を直したり……殆ど戦場で過ごした感じでした。ボロボロになって帰ってきたら、今度は『穢れた聖女』だ、『あなたは血と死にまみれ、魂の穢れを受けた。聖性が損なわれているのではないかと懸念されているのだ』とも言われましたね……そして石を投げられて……罵られて。王都の教会の中で、何より私を信じていた人たちに、手のひらを返されました……特に民衆は簡単に裏切りましたよ」
「……!」
クラウディアの顔が一気に青ざめ、そして紅潮する。
怒りと衝撃と、すぐには処理しきれない感情が渦を巻いていた。
そして――
「お父様に頼んで、兵を出して、今から王都に攻め込みましょう!教会も、貴族も、民衆も、全員土下座させて――」
「ちょっ……ちょっと待ってください、クラウディア様!?」
「許せませんわっ!セラ様のような方を追放するなんて、恥を知るべきですわ王都は!!」
「いや、それは正論でもありますけど、戦争はやめて……ください……」
セラフィーナは思わず困ったように笑った。
クラウディアの本気の怒りが、逆に胸にじんと染みる。
――こんなふうに、自分のために怒ってくれる人がいるんだなと、それがただ嬉しかった。
「……ありがとう、クラウディア様。でも、もう平気です。本当に」
「……わかりましたわ。でも私は、あなたの事これからも絶対に守りますのよ。誰が何と言おうと、味方ですわ」
「クラウディア様……」
「私はあなたに恩がありますから……絶対に守って見せますわ!」
ふんす、と鼻を鳴らしながら、それでもクラウディアはセラフィーナの手を握り返してくれた。
▽
その夜――王の私室。
ライグとセラフィーナは、薄明かりの蝋燭のもとで対面していた。
(……どうして私、陛下の部屋にいるんだろうか?)
深紅の絨毯。
静かな空気が、かえって二人の距離を際立たせる。
理由は――言葉では説明できないものだった。
数十分前、セラフィーナは城内の回廊を一人歩いていた。
使節団が去り、騒ぎも落ち着いたのでひと息つこうと思っていた矢先だった。
「……セラフィーナ」
不意に背後から名を呼ばれ、振り向くより早く、黒衣の王が無言で歩み寄ってきたかと思うと、迷いもなくその腕が伸ばされた。
「──っ、え?」
抱きかかえられた。何の前触れもなく。
小さく息を呑む暇もなく、そのままの体勢で城の上階へと歩き出す。
反射的に「歩けます!」と言おうとしたが、その声音と足取りの静かさになぜかそれ以上言葉が出てこなかった。
そして着いた先が、この部屋だった。
蝋燭がほのかに灯る広い室内。
ライグは、何も言わず彼女をそっと椅子に座らせると、その向かいに腰を下ろした。
(……なんだったんだろう、今の。何か、怒っているような……でも……)
彼の表情は、感情を押し殺しているようで、それでいて妙に静かで。
それはまるで、自分自身の中の何かを制御しようとしているようにも見えた。
「その、だな……返すつもりなど、最初からなかった」
静かに、しかし強くライグが言い切った。
「『契約妻』と侮ったあの使者……心の底から剣を突きつけたくなったぞ」
「……ふふ、陛下が本気で言いそうだから怖いです」
「言うだけだ。さすがに」
「……私も思いました。以前なら……ああ言われたら、きっと何も言えずに黙っていたと思います」
「だが今は、言い返した」
「ええ。今ならはっきり言えます。私は、私の意思でここにいる。もう誰のものでもない。王都の聖女ではありませんよ」
「……俺の『妻』だ」
「つぁ!?……そ、そうですね」
微笑み合った二人の間に、ようやく静かな理解が落ち着いた。
そのとき――ノックの音。
扉の向こうから、優雅な声が響く。
「失礼いたしますわ。戦争を回避できたと聞いてご挨拶に参りましたの」
クラウディアだった。
ドアを開けて入ってきた彼女は、凛とした笑みを浮かべながら一礼した。
「……これで、決着ですわね」
セラフィーナと視線を交わしながら、クラウディアはにこりと笑う。
「偽りの聖女制度など、もう意味をなしませんわ。あちらの新しい聖女……名前はルクレツィアとか言いましたかしら。噂では奇跡もろくに起こせず、すでに民衆の不満が高まっているとか……聖女に『力』を強制するようになった時点で、制度はもう限界だったのかもしれませんね……そして今、『聖女』であったあなたが、違う国で王妃になってしまった。教会も王家も、もう隠せませんわね」
クラウディアのその口調には、かすかに痛快さすら滲んでいた。
真実を抱きしめ、過去を手放し、未来へと歩む者たち。
この夜、フェルグレイの城では、確かな『変化』が、音もなく始まっていた。
空には深まる秋の雲が広がり冷たい風が城の石壁を撫でる。
セラフィーナは廊下の一角で足を止め、窓越しに見える庭の木々を見つめていた。
さきほどの使者たちの言葉が、まだ胸の奥で燻っている。
(……契約妻、か……まぁ確かに、白い結婚みたいなものだけどなぁ)
あれほど決然と否定したはずなのに、あの男の一言には確かに過去の傷を押し開く力があった。
だが、今のセラフィーナにはもうそれを恐れる理由がない。
「セラ様」
控えめな呼び声とともに、ふわりと甘い香水の匂いが漂ってくる。
振り向くと、そこにいたのはクラウディア・レイゼンだった。
彼女の表情には、ふだんの気高い微笑みではなく、心配と、どこか言葉を探しているような不器用さがあった。
「ご気分は……いかがですの?」
「……ええ、大丈夫です」
「無理をなさらなくてよくてよ?私、あなたが王都の人間にあんな物言いをされたこと、見ていてとても、腹立たしかったわ」
フンっといいながら答えるクラウディアの目は真っ直ぐだった。
揶揄も、警戒も、嫉妬もない。
ただ、彼女なりの「怒り」と「心配」だけが、そこにはあった。
セラフィーナは一つ息を吸って、少しだけ笑った。
「……クラウディア様は、王都の事情……どこまでご存知ですか?」
「聖女が失踪したと、そう報告は受けていますわ。けれど、詳しいことは……」
「……私は、その『失踪した聖女』でした……あと、『失踪』したんじゃなくて、『追放』されたんですけどね」
クラウディアの目が大きく見開かれる。
「癒しの力があると評され、幼い頃から『聖女』として仕えました。戦場に行き、魔物と戦う騎士たちの怪我を直したり……殆ど戦場で過ごした感じでした。ボロボロになって帰ってきたら、今度は『穢れた聖女』だ、『あなたは血と死にまみれ、魂の穢れを受けた。聖性が損なわれているのではないかと懸念されているのだ』とも言われましたね……そして石を投げられて……罵られて。王都の教会の中で、何より私を信じていた人たちに、手のひらを返されました……特に民衆は簡単に裏切りましたよ」
「……!」
クラウディアの顔が一気に青ざめ、そして紅潮する。
怒りと衝撃と、すぐには処理しきれない感情が渦を巻いていた。
そして――
「お父様に頼んで、兵を出して、今から王都に攻め込みましょう!教会も、貴族も、民衆も、全員土下座させて――」
「ちょっ……ちょっと待ってください、クラウディア様!?」
「許せませんわっ!セラ様のような方を追放するなんて、恥を知るべきですわ王都は!!」
「いや、それは正論でもありますけど、戦争はやめて……ください……」
セラフィーナは思わず困ったように笑った。
クラウディアの本気の怒りが、逆に胸にじんと染みる。
――こんなふうに、自分のために怒ってくれる人がいるんだなと、それがただ嬉しかった。
「……ありがとう、クラウディア様。でも、もう平気です。本当に」
「……わかりましたわ。でも私は、あなたの事これからも絶対に守りますのよ。誰が何と言おうと、味方ですわ」
「クラウディア様……」
「私はあなたに恩がありますから……絶対に守って見せますわ!」
ふんす、と鼻を鳴らしながら、それでもクラウディアはセラフィーナの手を握り返してくれた。
▽
その夜――王の私室。
ライグとセラフィーナは、薄明かりの蝋燭のもとで対面していた。
(……どうして私、陛下の部屋にいるんだろうか?)
深紅の絨毯。
静かな空気が、かえって二人の距離を際立たせる。
理由は――言葉では説明できないものだった。
数十分前、セラフィーナは城内の回廊を一人歩いていた。
使節団が去り、騒ぎも落ち着いたのでひと息つこうと思っていた矢先だった。
「……セラフィーナ」
不意に背後から名を呼ばれ、振り向くより早く、黒衣の王が無言で歩み寄ってきたかと思うと、迷いもなくその腕が伸ばされた。
「──っ、え?」
抱きかかえられた。何の前触れもなく。
小さく息を呑む暇もなく、そのままの体勢で城の上階へと歩き出す。
反射的に「歩けます!」と言おうとしたが、その声音と足取りの静かさになぜかそれ以上言葉が出てこなかった。
そして着いた先が、この部屋だった。
蝋燭がほのかに灯る広い室内。
ライグは、何も言わず彼女をそっと椅子に座らせると、その向かいに腰を下ろした。
(……なんだったんだろう、今の。何か、怒っているような……でも……)
彼の表情は、感情を押し殺しているようで、それでいて妙に静かで。
それはまるで、自分自身の中の何かを制御しようとしているようにも見えた。
「その、だな……返すつもりなど、最初からなかった」
静かに、しかし強くライグが言い切った。
「『契約妻』と侮ったあの使者……心の底から剣を突きつけたくなったぞ」
「……ふふ、陛下が本気で言いそうだから怖いです」
「言うだけだ。さすがに」
「……私も思いました。以前なら……ああ言われたら、きっと何も言えずに黙っていたと思います」
「だが今は、言い返した」
「ええ。今ならはっきり言えます。私は、私の意思でここにいる。もう誰のものでもない。王都の聖女ではありませんよ」
「……俺の『妻』だ」
「つぁ!?……そ、そうですね」
微笑み合った二人の間に、ようやく静かな理解が落ち着いた。
そのとき――ノックの音。
扉の向こうから、優雅な声が響く。
「失礼いたしますわ。戦争を回避できたと聞いてご挨拶に参りましたの」
クラウディアだった。
ドアを開けて入ってきた彼女は、凛とした笑みを浮かべながら一礼した。
「……これで、決着ですわね」
セラフィーナと視線を交わしながら、クラウディアはにこりと笑う。
「偽りの聖女制度など、もう意味をなしませんわ。あちらの新しい聖女……名前はルクレツィアとか言いましたかしら。噂では奇跡もろくに起こせず、すでに民衆の不満が高まっているとか……聖女に『力』を強制するようになった時点で、制度はもう限界だったのかもしれませんね……そして今、『聖女』であったあなたが、違う国で王妃になってしまった。教会も王家も、もう隠せませんわね」
クラウディアのその口調には、かすかに痛快さすら滲んでいた。
真実を抱きしめ、過去を手放し、未来へと歩む者たち。
この夜、フェルグレイの城では、確かな『変化』が、音もなく始まっていた。