戦場帰りの聖女は「穢れた」と断罪され追放されたけれど、獣人の王に拾われて契約結婚したら溺愛されました~追放した王国が滅びかけて土下座してきましたが私はもう戻りません~

第33話 告げられた真実【王国視点】

 王都の聖堂――嘗て聖女あったセラフィーナ・ミレティスが、祈りを捧げ奇跡を起こし、そして『穢れ』と呼ばれて追放されたその場所に、今騒めきが満ちていた。

 日曜の祈祷式――整然と並ぶ信徒たちの前で、壇上に立つのは白髪の神官、老いた神託師グラニス。
 年老いてなお背筋を伸ばし、神託の言葉を預かる最後の生き証人とされる人物だった。
 その日は、いつになく瞳が澄んでいた。

「……本日は、神の声をお伝えするべき日でしたが――」

 グラニスの言葉が静かに響くと、聖堂内の空気が一瞬、張り詰める。

「だが、私は偽ることができぬ。今、神は……何も告げておられぬのだ」

 その言葉が意味するものを、誰もが理解できず、ただ沈黙する。
 グラニスは、息をひとつ吸い、さらに言葉を続けた。

「そもそも……『前聖女』であるセラフィーナ・ミレティスが退任させられた日――神は何も告げておられなかった。神託が下ったとされたのは、教会の政治的判断だった。私も……沈黙を選んだ者の一人だ」

 ざわっ、と民衆が騒ぎ始めた。

「だが私は……もうこの口を噤んではいられない。奇跡があったのはあの方だ。その命を削ってでも、人を癒そうとしたあの少女にこそ――神は……ほんの僅かでも微笑んでおられたのだと、私は信じている」

 信徒の間にどよめきが広がる。
 中央列にいた貴族が立ち上がる。「なんの真似だ!」と怒鳴るも、グラニスは一歩も引かず、ただ深く一礼しその場に跪いた。

「神の名をもって、この命をもって、私は告白する。前聖女を追放したのは――教会の誤りであったと」

 その瞬間、聖堂内が騒然となる。
 怒声と困惑の混ざる中、急ぎ駆けつけた護衛神官たちが、グラニスを取り押さえた。
 その表情には、もはや迷いも恐れもなかった。

 ──そして、数時間後。

グラニス神官は『神意を汚した』として、教会の権威によって処罰された。

   ▽

 だが、その“告白”は、確かに民衆の中に火を点けていた。
 それは聖堂の外、貧民街の一角で起きた出来事。

「見ましたか?あの光景……あの老人が言っていたこと……」

 一人の若い神官が、戸口に集まった人々に静かに語りかける。
 ボロ布に身を包んだ者、子を抱く母親、黙って耳を傾ける老人。

 その神官――名をエリアスという。

 もとは聖堂の下級職だったが、セラフィーナの時代、彼女の背に付き、その『祈り』の奇跡をこの目で見ていた者だった。

「私たちは、『奇跡』を都合よく語ってしまった。でも、光は……フェルグレイに残っているんです」
「フェルグレイ……あの、亜人たちが収めている国か?」
「確か、『穢れた聖女』もそこに行ったんだよな?」
「ええ、ですがもう『聖女』ではありません。それでも、彼女は人を癒し、守り、祈っている。誰に命じられたわけでもない。ただ、自分の意志で……それが、神に近い者の姿ではないでしょうか?」

 人々が目を見交わし始める。

「もしかして……追放されたのは罪ではなく、奇跡だったのかもしれない」
「神は、あの方に光を与えたのでは……?」

 その囁きは、まるで風のように静かに――しかし確実に、王都中へと広がっていった。

   ▽

 そして、教会上層部――ベネディクトゥスは、聖堂奥の部屋でその報告を聞いていた。
 報告を終えた部下の神官は、震える声で言う。

「……民衆の間にセラフィーナの声が広がり始めています。このままでは、ルクレツィア様への信仰にも……」
「黙れ」

 ベネディクトゥスの低い声が、空気を凍らせた。

「『本物』である必要などない。必要なのは従順な偶像だ。この国を支配するのは『事実』ではなく、信じたい幻想だ……それを忘れた者から崩れていく」

 それでも、彼の口元はわずかにひきつっていた。
 机に置かれた銀の聖杯が、微細な震えを帯びている。

 その時、扉が音もなく開いた。

「……幻想が揺らいでいるのなら、手を打たねばなるまい」

 低く、よく通る声。
 姿を現したのは、王太子ジルヴァンの姿だった。
 昼とは違う、漆黒の礼装をまとい、すでに『王』の風格すら帯びた男だった。

「……ジルヴァン殿下」

 ベネディクトゥスが立ち上がり、わずかに顔をしかめる。
 だがそれは、あからさまな不快の色ではない。
 主導権を握られることへの静かな苛立ちがあった。

「民がセラフィーナを『本物』と語りはじめた。奇跡を信じた者たちが、再びその名を口にしはじめている……このまま放っておけば、やがて『偽物』を破壊するだろう」
「……ならばどうなさるおつもりで?」

 ベネディクトゥスの問いに、ジルヴァンはわずかに笑った。
 その笑みに、温もりはなかった。

「――連れ戻せ。今すぐにだ」

 空気がぴたりと張り詰める。

「……正気で? 今さら、『穢れた聖女』を呼び戻して何の意味が?」

「元聖女などどうでもいい。必要なのは『世論』の制御だ。あの女を『赦された者』として戻せば、教会も、王家も、民に恩赦を示すことができる。そして何よりあの女の存在を、再び我々の掌の中に取り戻せるのだ」
「……それで従うと思われますか? あの女は、もはやフェルグレイ王の妃。しかも、今や癒しを持たぬ聖女よりもずっと強く信じられている」
「従わぬなら――取り戻すまで動け」

 ベネディクトゥスの顔に、わずかに嫌悪の色が浮かんだ。

「……お望みならば。だが、我々の組織がまた『嘘』の上に積み上がっていくことをお忘れなく」
「嘘で積み上げた王都だろう?」

 ジルヴァンは微笑みながら、まっすぐにベネディクトゥスを見返す。

「ならばその嘘を完璧に演じきれ。教会の力を持って、セラフィーナ・ミレティスを国のために帰還すべき元聖女として、使節団を送り、公式に要請せよ。名目は外交礼儀でも何でもいい……だが本音はただ一つ、「取り戻せ」だ」
「……承知いたしました」

 深々と頭を下げながらも、ベネディクトゥスの胸の奥では冷たい何かが渦巻いていた。

(結局、教会も王家も、手段の違いこそあれ――信じさせる事しかできぬのか)

 静かに、立ち去るジルヴァンの背を見送る。
 その数日後、王都の使節団が黒狼の国・フェルグレイへと出立した。
 表向きは、外交親善と旧友訪問。
 だがその真の目的は――嘗て捨てたはずの『穢れた聖女』を、再び手の内に引き戻すこと。

 そのため、その国の王から怒りを買う事など、まだ知らない。
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