戦場帰りの聖女は「穢れた」と断罪され追放されたけれど、獣人の王に拾われて契約結婚したら溺愛されました~追放した王国が滅びかけて土下座してきましたが私はもう戻りません~
第38話 鳴く声、届かぬ空
広場を包む陽はまだ柔らかかったが、その光はもう二人の子どもに届いていなかった。
「セラ……セラぁ……!」
「どこ……どこに行ったの、セラぁ……!」
ノアとカルミアは人混みの中を手を取り合い、必死にセラフィーナを探していた。
焼き菓子の屋台のにおいも、通りのざわめきも、もう耳に入らない。
人々の笑い声が、こんなにも遠く感じるとは思わなかった──さっきまで、すぐそばにいたはずなのに。
祭りの熱気に押されるようにして流されたほんの数秒の間。
気がつけば、彼女の姿は消えていた。
名前を呼んでも、返事はない。
走っても、目に入るのは知らない顔ばかり。
「セラ……ぅ、ひっく……!」
カルミアの瞳に涙が滲み、ノアの指が強く震える。
彼は泣きたいのを堪えながら、妹の手を離さないように必死だった。
「大丈夫……絶対、見つけるから……」
そう言っても、不安はごまかせない。
これからどうしたらいいのかわからないノアは涙を溜めながら辺りを見回していたその時、二人の姿の前に現れた人物がいた。
「……お二人共、ここにいらしたか」
影から静かに現れた黒衣の男に、ノアとカルミアが同時に顔を上げた。
王城直属の影護衛――セラフィーナに密かに付き添っていた者だった。
「……どうして!なんで助けてくれなかったんだ!セラが、どこにもいな、くて!」
「……申し訳ありません。あの混乱はただの人波ではなかった……何者かが仕組んだものと見られます」
そう言うと護衛は、すぐに周囲の気配を探るように歩き出す。
街の陰、物陰、通路……数歩歩いた先で、彼の目が止まった。
――それは、地面に落ちていた。
金の糸で花をかたどった、小さな髪飾り。
セラフィーナが、今朝自ら選んでつけたものだ。
「これは……」
護衛がそれを拾い上げた瞬間、背筋を走る違和感を覚える。
周囲の空気が、僅かに『歪んで』いる。
普通の人間には気づけない。
だが、魔道の訓練を受けた彼には分かった。
「幻術魔道具の使用痕……この場で、何かを覆い隠していたのか?」
短く詠唱を囁き、空間をわずかに解析する。
その結果――確信に変わった。
「……まさか、王妃様は……」
言葉が、低く唸るように漏れた。
ただの迷子ではない。
逸れたわけでもない。
誰かが計画的に、魔道具を使ってセラフィーナを連れ去った。
「ノア様、カルミア様、城に戻ります。すぐに陛下へ報告を」
二人の手をそれぞれ取ると、護衛は迷いなく駆け出す。
すでに市街には警戒結界が張られ始めている。
王都の存在がついにフェルグレイに再び牙を剥いた――そう判断するには、十分すぎた。
▽
フェルグレイ王城、戦略会議室。
昼を過ぎても窓は閉ざされ、蝋燭の炎だけが、重たい沈黙の空間にゆらめいていた。
──そして、静寂を破るように扉がノックされる。
「……陛下、護衛から緊急報告です」
「護衛から?」
側近の騎士が扉の隙間から顔を出し、声を震わせながら言った。
ライグ・ヴァルナークは、その声に即座に視線を向けた。
「入れ」
ただ一言――低く、けれど絶対に逆らえぬ威圧が込められていた。
影護衛がすぐさま室内に入り、片膝をつく。
その手には、一つの小さな髪飾り――セラフィーナのものだ。
「……陛下。王妃殿下は城下市の混乱に紛れて拉致された可能性が高く……」
報告の途中で、ライグの手が、静かに机上の文書を伏せた。
パタン――音は小さく、けれど空気が変わったのを部屋にいた誰もが肌で感じた。
「……連れ去られた、だと」
その声は、氷よりも冷たく低い。
怒鳴るでも、荒げるでもない。
だがその一言だけで、側近の背筋に汗が滲んだ。
(あ……やべぇ……)
言葉にすれば無礼極まりないが、心の中ではっきりそう思った。
――ライグ王が本気で怒る時は、静かになる。
それは、この城の者なら誰もが知っている恐怖の法則だった。
クラウディア・レイゼンは、黙って立ち上がり、テーブルに片手をつく。
蒼い瞳がわずかに揺れている。
「……幻術で周囲の認識を歪め、魔道具で封じた上で……彼女を『運ぶ』ほどの準備。これほどの手際、そして狙いの正確さ……陛下、これは間違いなく王都の仕業ですわ」
彼女の声にも静かな怒りが滲む。
冷静な令嬢の仮面の下、親しい者を奪われた怒りが火を上げていた。
ライグはゆっくりと立ち上がる。
大柄な体が影を落とし、蝋燭の火がその瞳の奥を照らす。
そこに宿っていたのは、爆発する激情ではない。
炎を包み込み芯から燃やし続ける、意志の姿だった。
「……連れ戻す。必ずだ」
その言葉には、誓いにも近い重みがあった。
「奴らが手を伸ばしたのは、フェルグレイの王妃……この国の誇りそのものだ」
「陛下……」
クラウディアがわずかに息を呑む。
ライグの拳が、机の上で音もなく握られる。
その腕には、今にも斬撃を振るうかのような殺気すら宿っていた。
「彼女に指一本でも触れた代償を……その身で払わせてやる」
その瞬間、室内の空気が変わった。
剣を抜いたわけでもないのに、場にいた全員が『戦争』と言う文字が浮かぶ。
震える側近が、かろうじて問う。
「あのー……陛下、どうなさいますか」
「城門を封鎖。周辺一帯に騎士を展開。全隊、即時召集。討伐隊を編成し出撃の準備を整えろ」
その命が下った時――フェルグレイの王は、完全に『獣』となっていた。
「セラ……セラぁ……!」
「どこ……どこに行ったの、セラぁ……!」
ノアとカルミアは人混みの中を手を取り合い、必死にセラフィーナを探していた。
焼き菓子の屋台のにおいも、通りのざわめきも、もう耳に入らない。
人々の笑い声が、こんなにも遠く感じるとは思わなかった──さっきまで、すぐそばにいたはずなのに。
祭りの熱気に押されるようにして流されたほんの数秒の間。
気がつけば、彼女の姿は消えていた。
名前を呼んでも、返事はない。
走っても、目に入るのは知らない顔ばかり。
「セラ……ぅ、ひっく……!」
カルミアの瞳に涙が滲み、ノアの指が強く震える。
彼は泣きたいのを堪えながら、妹の手を離さないように必死だった。
「大丈夫……絶対、見つけるから……」
そう言っても、不安はごまかせない。
これからどうしたらいいのかわからないノアは涙を溜めながら辺りを見回していたその時、二人の姿の前に現れた人物がいた。
「……お二人共、ここにいらしたか」
影から静かに現れた黒衣の男に、ノアとカルミアが同時に顔を上げた。
王城直属の影護衛――セラフィーナに密かに付き添っていた者だった。
「……どうして!なんで助けてくれなかったんだ!セラが、どこにもいな、くて!」
「……申し訳ありません。あの混乱はただの人波ではなかった……何者かが仕組んだものと見られます」
そう言うと護衛は、すぐに周囲の気配を探るように歩き出す。
街の陰、物陰、通路……数歩歩いた先で、彼の目が止まった。
――それは、地面に落ちていた。
金の糸で花をかたどった、小さな髪飾り。
セラフィーナが、今朝自ら選んでつけたものだ。
「これは……」
護衛がそれを拾い上げた瞬間、背筋を走る違和感を覚える。
周囲の空気が、僅かに『歪んで』いる。
普通の人間には気づけない。
だが、魔道の訓練を受けた彼には分かった。
「幻術魔道具の使用痕……この場で、何かを覆い隠していたのか?」
短く詠唱を囁き、空間をわずかに解析する。
その結果――確信に変わった。
「……まさか、王妃様は……」
言葉が、低く唸るように漏れた。
ただの迷子ではない。
逸れたわけでもない。
誰かが計画的に、魔道具を使ってセラフィーナを連れ去った。
「ノア様、カルミア様、城に戻ります。すぐに陛下へ報告を」
二人の手をそれぞれ取ると、護衛は迷いなく駆け出す。
すでに市街には警戒結界が張られ始めている。
王都の存在がついにフェルグレイに再び牙を剥いた――そう判断するには、十分すぎた。
▽
フェルグレイ王城、戦略会議室。
昼を過ぎても窓は閉ざされ、蝋燭の炎だけが、重たい沈黙の空間にゆらめいていた。
──そして、静寂を破るように扉がノックされる。
「……陛下、護衛から緊急報告です」
「護衛から?」
側近の騎士が扉の隙間から顔を出し、声を震わせながら言った。
ライグ・ヴァルナークは、その声に即座に視線を向けた。
「入れ」
ただ一言――低く、けれど絶対に逆らえぬ威圧が込められていた。
影護衛がすぐさま室内に入り、片膝をつく。
その手には、一つの小さな髪飾り――セラフィーナのものだ。
「……陛下。王妃殿下は城下市の混乱に紛れて拉致された可能性が高く……」
報告の途中で、ライグの手が、静かに机上の文書を伏せた。
パタン――音は小さく、けれど空気が変わったのを部屋にいた誰もが肌で感じた。
「……連れ去られた、だと」
その声は、氷よりも冷たく低い。
怒鳴るでも、荒げるでもない。
だがその一言だけで、側近の背筋に汗が滲んだ。
(あ……やべぇ……)
言葉にすれば無礼極まりないが、心の中ではっきりそう思った。
――ライグ王が本気で怒る時は、静かになる。
それは、この城の者なら誰もが知っている恐怖の法則だった。
クラウディア・レイゼンは、黙って立ち上がり、テーブルに片手をつく。
蒼い瞳がわずかに揺れている。
「……幻術で周囲の認識を歪め、魔道具で封じた上で……彼女を『運ぶ』ほどの準備。これほどの手際、そして狙いの正確さ……陛下、これは間違いなく王都の仕業ですわ」
彼女の声にも静かな怒りが滲む。
冷静な令嬢の仮面の下、親しい者を奪われた怒りが火を上げていた。
ライグはゆっくりと立ち上がる。
大柄な体が影を落とし、蝋燭の火がその瞳の奥を照らす。
そこに宿っていたのは、爆発する激情ではない。
炎を包み込み芯から燃やし続ける、意志の姿だった。
「……連れ戻す。必ずだ」
その言葉には、誓いにも近い重みがあった。
「奴らが手を伸ばしたのは、フェルグレイの王妃……この国の誇りそのものだ」
「陛下……」
クラウディアがわずかに息を呑む。
ライグの拳が、机の上で音もなく握られる。
その腕には、今にも斬撃を振るうかのような殺気すら宿っていた。
「彼女に指一本でも触れた代償を……その身で払わせてやる」
その瞬間、室内の空気が変わった。
剣を抜いたわけでもないのに、場にいた全員が『戦争』と言う文字が浮かぶ。
震える側近が、かろうじて問う。
「あのー……陛下、どうなさいますか」
「城門を封鎖。周辺一帯に騎士を展開。全隊、即時召集。討伐隊を編成し出撃の準備を整えろ」
その命が下った時――フェルグレイの王は、完全に『獣』となっていた。