戦場帰りの聖女は「穢れた」と断罪され追放されたけれど、獣人の王に拾われて契約結婚したら溺愛されました~追放した王国が滅びかけて土下座してきましたが私はもう戻りません~

第39話 雷の如く

 騎士たちが次々に戦略室から出て行く中、ノアとカルミアの双子だけは最後までライグのもとを離れなかった。
 ノアは鼻をすすり、カルミアは真っ赤な目でライグを見上げる。
 二人とも、肩を震わせながら必死に声を絞り出した。

「……お、おうさま……っ」
「ぜったい……セラ、たすけてね……っ」

 その声に、ライグはゆっくりと膝をついた。
 いつものような威厳も、鉄の意志も一瞬だけ和らぐ。

「大丈夫だ」

 大きな手が、二人の小さな頭にそっと触れる。
 その手は、父のように温かく――そして、王のように確かなものだった。

「彼女は、必ず連れ戻す。どれほどの障害があろうとも……俺が、この手で取り戻す」

 ノアが涙をこらえながら、必死に頷いた。
 カルミアも唇を噛み締め、黙って深く頭を下げた。
 二人が護衛に連れられて部屋を出ていった後――部屋にはライグひとりが残った。

   ▽

 誰もいない空間で、彼はゆっくりと懐から小さなものを取り出す。
 金の糸で花をかたどった、繊細な細工の髪飾りだった。
 落ちた髪飾りの破片を、護衛が現場で拾ったものだ。
 傷がつき、曲がりかけていたが――それでも確かにあの時のままの形をしていた。

 ――まだ、夫婦になって間もない頃。
 何か彼女の心を和らげられないかと考え、王宮の職人に頼んで作らせた贈り物だった。

 夜、王宮の小さな中庭。
 用事があると言われて来たセラは、そこに一人待っていたライグを見て、少し驚いたように立ち止まった。

「……陛下?」

 その声に、ライグは手にしていた小さな包みを差し出した。

「……これを、お前に」
「……?」

 セラフィーナが受け取って、そっと包みを開く。
 中にあったのは、金糸で丁寧に編まれた小さな花の髪飾りだった。
 繊細な細工が光を受けてやわらかく輝いている。

「……これ、私に?」

 彼女の声が、少しだけ震える。

「……気に入らなければ、捨ててもいい」

 ライグがぶっきらぼうにそう付け加えると、セラはふふっと笑って首を振った。

「いえ……とても、綺麗です。こんな風に贈り物をいただくなんて、初めてで……」

 ぎこちない笑みだったが、その目は確かに嬉しそうに輝いていた。

「ありがとう……ございます、陛下」

 髪飾りを両手で大事そうに抱きながら、セラフィーナは小さく頭を下げた。
 その頬がほんのりと紅く染まり、目元が少しだけ緩んでいた。
 あの時、ライグは思ったのだ。

 ――この笑顔を二度と曇らせたくはない、と。

 ライグは髪飾りをそっと手のひらにのせた。
 そして、そのままゆっくりと指を閉じ、ぎゅっと握りしめる。

「……泣いてはいなかったか」

 低く、震えるような声が漏れる。
 誰に向けた問いでもない。けれど、その言葉には明確な相手がいた。

 ――セラフィーナ。

 あの強く、優しく、誇り高い女《ひと》の事を思い出すたびに胸の奥が疼いた。

「無理は、していなかったか……寒くはなかったか……恐ろしくは、なかったか……」

 声はもう、ほとんど囁きだった。
 それでも口に出さずにはいられなかった。
 言葉にしなければ、押し潰されそうなほどの思いが今この瞬間も胸に渦巻いていた。

 握った拳の中で、小さな金の髪飾りがかすかに震える。
 金糸で繊細に編まれた花の細工――今では少し曲がり、先端には泥の跡がついていた。
 だが、それは間違いなく彼女が落としたモノだった。
 かつてライグ自身が贈った、たった一つの贈り物。

 王妃としてではなく、一人の女として。
 王としてではなく、一人の男として。
 不器用ながら、心から渡した初めての贈り物だった。

「ありがとう……ございます、陛下」

 あの日のセラフィーナの声がふいに耳の奥で蘇る。
 小さく、でも確かに嬉しそうで。
 顔を少し赤らめて、けれどちゃんと目を合わせて微笑んだ、あの瞬間。
 彼女のあの笑顔が、今はどれほど遠く感じるだろうか。
 ライグは拳を、ぎゅっと強く握りしめた。
 髪飾りの金細工が、指の腹に食い込む。
 鋭い痛みが走る――けれど、それが今の彼には、唯一の『現実』だった。

 彼女が確かにここにいた証。
 そして、奪われたという事実。

 痛みはあった。
 だがそれは、怒りでも悲しみでもない。
 ただ、誓いのために刻まれた『刻印』のようだった。

 椅子を押しのけ、ライグは静かに立ち上がった。
 その動作に、迷いはなかった。
 王として、夫として、男として――たった一つの願いのために全ての力を振るう覚悟だった。

 その瞳は、曇りなく研ぎ澄まされている。
 怒りは、すでに燃え尽きていた。
 そこにあるのは、燃えた後に残った純粋な『意志』の残火。

「……セラフィーナ……セラ……」

 静かに名を呼ぶ。

「必ず、お前を助けに行く――何があっても、必ずだ」

 その言葉に返事はない。
 けれど、彼は確かに信じていた。
 あの女は、今もどこかで、震えながらも立ち上がろうとしている。
 だからこそ、自分が迎えに行かなければならない。
 世界のすべてを敵に回しても。

「――奪った者には、それ相応の代償を払わせてやる」

 その声音は、もはや人ではなかった。
 怒りを研ぎ澄ませた、王獣《おうじゅう》のような声

 重く閉ざされた扉の向こう――遠く、出陣を告げる太鼓が鳴り始めた。

 ドン……ドン……ドン……

 低く、重く、魂を揺さぶる音が、静かにフェルグレイ中を震わせる。
 それはまるで、雷鳴のようだった。
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