戦場帰りの聖女は「穢れた」と断罪され追放されたけれど、獣人の王に拾われて契約結婚したら溺愛されました~追放した王国が滅びかけて土下座してきましたが私はもう戻りません~

第41話 囚われの聖女

 そこは、王都の外れ――忘れ去られたような古い礼拝堂だった。
 嘗て神の声を聞く者のみが足を踏み入れるとされた神聖な地。
 だが今はその神殿も信仰も失い、今となってはセラフィーナにとって監禁させられている部屋にしかならない。

 石造りの礼拝室。
 差し込む光はなく、空気は冷たく、静寂だけが支配している。
 その片隅に、セラフィーナは座り込んでいた。
 両手首には、重く冷たい金属の封印具。
 古代魔道具による封印は魔力の回路を完全に断ち、彼女からあらゆる力を奪っていた。
 扉の向こうから足音――やがて、ガチャリと金属の音がして、扉がゆっくりと開く。
 入ってきたのは王都教会の神官服を纏う男――教会長ベネディクトゥスの側近である。
 芝居がかった笑みを浮かべながら、男はセラフィーナの前に歩み寄った。

「ようやくお目覚めになりましたか、元・聖女様」

 セラフィーナは顔を上げる。
 怯えも迷いもない、その瞳。

「……用件は何ですか」
「ふふ、相変わらず冷たいですね。だがその強さもまた、魅力です」

 男はゆっくり腰を下ろし、視線を合わせる高さに身を落とす。

「セラフィーナ様……あなたの美しさ、聖女としての物語、人々を癒す奇跡。それらは本来この『王都』でこそ輝くべきモノだと私は思うのです。フェルグレイのような小国に埋もれさせるにはあまりに――惜しい」

 セラフィーナは何も答えない。

「しかも、王太子陛下――ジルヴァン殿下は、こう仰っています」

 男の口元が、誇らしげに吊り上がる。

「「あの女を正妃として迎え入れよ、教会と王家の新たな象徴として据える」と」

 少しの沈黙の後、セラが静かに口を開いた。

「……それは、命令ですか?それとも取引?」
「いえ、どちらでもありません。ただの『選択肢』です。あなたにとっても悪い話ではないでしょう?」

 セラフィーナの視線が、男の目を真っ直ぐに捉える。

「――選択肢を提示するつもりなら、まず『私を』人間として『扱ってください』」

 男の笑みが止まる。

「私はもう誰かに従うだけの女ではありません」

 それは静かでありながら、確かな意思を含んだ言葉だった。
 神官は無言で立ち上がると、冷えた礼拝堂の扉を再び閉ざした。
 残された沈黙の中、セラは冷たく重い封印具を見つめ、深く息を吐く。

(……これは古代式。確か……魔道具の構造を研究していたときに似た封印具を見たことがある。内部に『隙』があるはず……何処かに突破口が――)

 魔力も祈りも封じられている。
 けれど心と思考は、誰にも封じることはできない。

 ライグが待っている――ノアとカルミアも、クラウディアも、ミリアも。

 『あの国』に生きると決めた、自分を――ここで折らせるわけにはいかない。

 その時、風のような音が微かに壁の奥から吹き込み、そして聞こえてきた遠い空で鳴る雷鳴。
 それはまるで、誰かの誓いの声のようだった。

 ――迎えに行く。
 ――何があっても、お前を取り戻す。

(……まさか、な)

 フっと笑いながらライグの事を思い出していたその時、再び礼拝堂の扉が開いた。

 革靴の音が響く。
 入ってきたのは、金と銀の装飾を施した礼装に身を包んだ男――王太子、ジルヴァンの姿だった。
 その顔には、優越感と確信の色が浮かんでいる。

「……ジルヴァン、さま」
「セラフィーナ……いや、『セラ』と呼んでも、もう構わないだろう?」

 旧友にでも再会したような馴れ馴れしい口ぶり。
 だが、セラフィーナは視線を逸らし、黙っていた。
 ジルヴァンは苦笑しながら、堂々と彼女に近づく。

「冷たいな……王都にいた頃のお前は、もっと従順だった」
「従順ではなく、争う価値がないと思っていただけです……あとは、演技です。実は本性隠していたんですよ」

 フフっと笑いながら返された言葉に、ジルヴァンの眉がかすかに動いた。

「変わったな。フェルグレイで何を吹き込まれた?獣人の王に甘やかされ、小国の民に持ち上げられて――まるで『本物』の王妃にでもなったつもりか」
「なったのではなく、そう在ろうと決めたのです。私自身が」

 ジルヴァンの笑みが凍る。
 彼の目に宿ったのは怒りではない。
 
「お前は、本来、俺の王妃になるはずだった」
「しかし、切り捨てたのはあなたと、教会長です。そもそも、私はお断りしておりました。勝手に話を進めようとしていたのはあなた達ですよ?私は戦場でずっと生きてきましたから」
「だが、今はお前は亜人の国の『王妃』ではないか?」
「……色々、あったんです」

 そう、色々あったのだ。
 この国から守ってくれる為には、契約した結婚でしか守る事が出来なかった。
 確かに聖女だった頃、そのような話は出ていたが、婚約者になると言う事には断りを入れていた。
 あの時は戦場でしか生きられない、と思っていたからである。

(……それに、そもそも私はジルヴァン様が嫌いだったからなぁ)

 性格が絶対に合わないと思ったので、何度も断った。
 結局の所、追放されてしまったのだが。
 それを忘れているかのように、ジルヴァンは話を続ける。

「教会の威光を背負い、王家の象徴となり、この国の未来を導く……それがお前の『使命』なんだぞ?」

 その言葉を聞いて、セラフィーナの唇が皮肉ともいえる感じに笑みを零す。

「……いつから、私の人生を貴方が決めるようになったのですか」
「それが『王』というものだ」

 ジルヴァンは即答した。

「王は秩序。民を導き貴族を束ね、国家を維持する象徴――その隣に必要なのは従順で、美しく、物語を背負える偶像」

 ジルヴァンの視線が、セラの封印具に落ちる。

「お前が戻るなら、すべてを許してやる。教会も、貴族も、俺が動かす――お前が、俺の妃として帰ってくるのなら」

 その言葉は、優しさを装った檻だった。
 だがセラフィーナは静かに目を閉じ、そして、淡々と告げる。

「――お断りします」

 その一言に、ジルヴァンの眉がわずかに動く。

「私は、貴方の妃になりたいと、一度でも言いましたか?」
「……セラ」
「私は王妃である前に、『私』という人間です。この手で剣を取り、民と生き、苦しむ者の声を聞く……それでもなお、貴方が私を所有できると思うなら――あなたに王の資格はありません」

 礼拝堂に、静かな沈黙が落ちる。
 やがてジルヴァンは、冷えた声で吐き捨てた。

「……フェルグレイが『毒』だったな」

 そして、踵を返す。

「まぁいい。お前の気持ちなど必要ない。ただの偶像でいい……戻すだけだ。元の場所に――」

 そのように言われながら扉が閉じられる。
 静かに残された空間で、セラフィーナはゆっくりと目を閉じた。
 その胸には、折れない誇りと、揺るぎない覚悟が宿っている。

(――私は、私の意志でこの国を選んだ、誰にも……その選択を否定させはしない)

 セラフィーナはその言葉を胸に秘めつつ、唇を静かに噛んだ。
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