戦場帰りの聖女は「穢れた」と断罪され追放されたけれど、獣人の王に拾われて契約結婚したら溺愛されました~追放した王国が滅びかけて土下座してきましたが私はもう戻りません~

第43話 王妃の灯は消えず

 ──血の匂いがする。

 白い布が紅く染まる。
 叫び声が遠くで響いている。
 泥と鉄と、命の終わりの音。誰かのうめき声が重なるように響いて──セラフィーナはそこにいた。

「聖女様!まだ動けますか!?」
「この兵が……!喉を斬られて──っ」
「落ち着け!……大丈夫だ、すぐに止血しする!」

 夢の中――けれど、それは「ただの記憶」ではなかった。

 戦場にいた頃の自分。
 王都にいた頃、『聖女』という名を与えられながら一部の者たちしか認められなかった。
 そもそも自分は本当に『聖女』なのだろうかと考えさせられるほど、戦場に何年もいた。
 叫び、泣き、祈りながら、それでも何かを救おうと手を伸ばし続けた。
 それでも、届かなかった命が山のようにあった。
 あの頃、自分には何もなかった。
 ただ、手があり、声があり、少しの知識と信じる想いがあっただけ。

 それでも──何とか『力』で治してきた。
 祈りがなくても、魔術が使えなくても。
 自分は、誰かの命を繋げた。

 ──ぱしっ。

 乾いた音がして、目が覚めた。
 セラフィーナは静かに目を開け、狭く暗い石造りの天井を見上げる。
 視界にぼんやりと揺れるのは、石造りの礼拝室が見える。
 冷たい空気が頬をなぞり、夢の余韻を洗い流していく。
 彼女は変わらず、身動きが取れなくても、目の前の礼拝堂に向けて祈りをする。
 けれど今、その両手には祈りを封じる腕輪がはめられている。

 魔力封印の拘束具――装飾は一切ないが、内部には複雑な術式と構成式が組み込まれており力を封じ込める目的で作られたもの。
 彼女はそれをつけられても、恐れる事はなかった。
 視線を落とし、銀の腕輪をじっと見つめる。

「……クク、まるで私の事を力だけの存在だと思っているんだな……ふざけるのも対外にしてほしい」

 誰にも聞こえないほどの、かすかな声で呟く。
 そして、静かに指を動かした。
 細く、慎重な指先が、腕輪の縁に沿って這うように触れる。
 椅子から蹲るように座るその姿は変わらず整っていてまるで儀式でも始めるかのようだった。

(……構成術式は旧型。癒し特化型の拘束……やっぱり)

 魔道具の構造を見抜くには、祈りではなく知識と感覚が必要だった。
 封じられているのは魔力ではない。
 彼女の『意思』でもある。
 そして、この拘束具にはわずかな『揺らぎ』がある。
 そのノイズを探し、読み、逆に利用する──それが突破口になる。

 セラフィーナは呼吸を整える。
 祈らず、唱えず、ただ静かに、集中する。

 夢の中で思い出した自分──魔力を封じられた時でも、血と泥の中で命を救ったあの頃の自分が、背中を押してくれていた。

(私は、王妃だから諦めないんじゃない。聖女だから負けないんじゃない。私という人間は──どこにいても、誰であっても、きっと立ち上がる)

 その瞬間──ぴしっ、と音がする。

 魔力の流れが、腕輪の内側でかすかに乱れた。
 ノイズを与えられた術式が、一瞬だけ波打つ。
 それは、ほんの些細な反応。
 だが、明らかに何かが崩れた音だった。

「……見つけた」

 その声に、確かな確信が宿っていた。

 彼女の灯は、誰にも奪えない。
 それを知る者は、きっと……彼が、わかってくれる。

 だから。

「……陛下、あなたの隣に戻るまで私は倒れません、絶対に」

 瞳を閉じ、もう一度、集中する。
 音もなく、世界は深く静かだった。
 けれどその中で、ひとつだけ、消えぬ光があった。
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