戦場帰りの聖女は「穢れた」と断罪され追放されたけれど、獣人の王に拾われて契約結婚したら溺愛されました~追放した王国が滅びかけて土下座してきましたが私はもう戻りません~

第48話 宣戦の使者

 フェルグレイ王城――その最奥に構えられた軍議室に、張り詰めた空気が満ちていた。
 長い楕円形の石卓を囲み、各方面の将軍や参謀、重臣たちが一堂に会している。
 壁には地図と魔道具式の通信盤、中央の卓上には新たに届けられた一通の封筒。

 それは、王太子ジルヴァンからの宣戦布告状だった。

「――名目は、『自国の聖女の拉致に対する報復』……ふん、寝言は寝て言えと言いたいな」

 重臣の一人が唸るように吐き捨てた。

「『元』聖女にして、我が国の『王妃』である女性を、王都が勝手に拘束した挙句、この言い草とは……」
「しかも、王都が公式に『宣戦布告』の文言を使うのは、百年ぶりのことです」
「戦の大義は、教会と王家の象徴を奪われたという点に置いているようです。国教の威信回復と民意誘導が目的でしょう」

 淡々と報告する参謀の声が、室内に冷たく響いた。
 その全てを黙して聞いていたライグが、ゆっくりと立ち上がる。
 黒い軍装の上に王衣を纏ったその姿は、いつにも増して重々しかった。
 手にした宣戦状を一瞥し、低く短く言葉を落とす。

「――これは、戦争ではない」

 皆が一斉に彼を見る。

「ただの奪還戦だ……我らが王妃を奪った者どもに対する、当然の報いだ」

 その声には怒気も激情もなかった。
 ただ、深い怒りが底に沈み、静かに煮えたぎっている。

 誰も反論はしなかった。
 王妃セラフィーナ・ミレティス――彼女が命を懸けてこの国を護り、そして再びこの地に戻ってきたことを、皆が知っていた。
 その彼女を、再びあの王都が奪おうとしている。

「出撃準備を整えろ。各方面、対応に遅れが出ぬよう伝えよ……ただし、開戦の火蓋は我が手で落とす」
「はっ!」

 号令とともに、軍議室の空気が一気に動き出す。
 だがそのなかで一人――セラフィーナだけが、口を開こうとして躊躇っていた。
 その姿を見たライグが、少しだけ目を細める。

「……何か言いたいことがあるなら、セラ」

 セラは小さく息を吸い、言葉を選びながら口を開いた。

「正直……私は、戦いたくないんです。できることなら、争いではなく対話で解決したい……でも……」

 視線を伏せたまま、彼女は続ける。

「でも……誰かが傷つくのを、黙って見ていたくもないんです。自分のせいで、誰かが苦しむくらいなら、私は……また、立ちたいと思ってしまう」

 その声には、迷いも、願いも、痛みも混ざっている。
 誰よりも人の命と心に寄り添ってきた彼女だからこそ、争いの始まりが何よりも怖かった。
 しばしの沈黙の後、扉がノックされ、クラウディアが現れた。
 肩までの銀髪を揺らし、礼儀正しく一礼したあと、軽やかな足取りで進み出る。

「陛下、セラフィーナ様。お話したいことがございます」
「クラウディア様?

 ライグが軽く頷くとクラウディアは一枚の報告書を卓上に差し出した。

「──ジルヴァン殿下、どうやら教会を切り捨てるつもりのようですわ」
「……教会を?」

 セラフィーナの目が驚きに見開かれる。

「はい。『新たな王家の象徴』としてのセラフィーナ様を迎え、教会の求心力を国政から外す……実際、ルクレツィアの『奇跡』が失敗し続けている今、教会は足枷になると見たのでしょう」

 ライグは小さく舌打ちした。

「つまり、今の王都は『聖女』という概念を使い捨てにしながらそれを口実に戦を仕掛けてきた……」
「ええ。最初からセラフィーナ様を奪うのが目的だったのでしょう。だからこそ、宣戦という形式を使い、『法』と『神』の両面から正当性を取り繕っているのです」

 クラウディアは一度言葉を切り、静かにセラへと視線を向ける。

「……でも、だからこそ彼らの『心の根』を揺さぶることができるのではなくて?」
「……揺さぶる?」
「はい。民の心、教会の信徒たち、神官の一部――彼ら自身が疑念を抱き始めている今だからこそ、真実を突きつければ国の中から崩せるのです」

 クラウディアは、声の調子を少しだけ柔らげた。

「陛下が正面から戦場に立ち、セラフィーナ様が真実を語る……この国の形を示すだけで、王都の民は必ず動きますわ」

 ライグが無言のまま、クラウディアの言葉を噛み締めるようにうなずいた。
 そしてセラフィーナは、しっかりと前を向く。

「なら……私は、戦場に立つ王妃としてではなく……この国で生きる『人間』として、声を届けます」

 クラウディアは微笑む。

「ええ、それがフェルグレイの王妃のあり方なのですわ」

 戦の影が近づいている。
 だがその中で、彼女の言葉は――誰かを傷つけるためではなく、守るために立つという覚悟へと変わろうとしていた。
 軍議室の窓から射し込む光が、セラフィーナの瞳に淡く映り込む。
 その光は、小さくとも確かに何かを決意したような目をしていた。
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