戦場帰りの聖女は「穢れた」と断罪され追放されたけれど、獣人の王に拾われて契約結婚したら溺愛されました~追放した王国が滅びかけて土下座してきましたが私はもう戻りません~

第49話 裏切られた信仰

 ──王都・聖堂。
 静寂の中に、祈りの声だけが響くはずの神聖な場所は、今やまるで見世物小屋のようなざわめきに包まれていた。
 高くそびえる天井、精緻なステンドグラス、香の焚かれた空気。
 美しさはそのままだが、その内側で流れる空気は、かつてのものではない。

「……また、出なかったそうです」
「光も風も……何も。魔道具の不調ということにしていたけど……」
「本当に『神』がいるのなら、どうして……?」

 囁き声が、礼拝の椅子のあちこちで交わされる。
 かつて聖女セラフィーナが立っていた壇上には、今はルクレツィアが立っている――だがその表情は固く、どこか焦りすら滲ませていた。
 儀式の最中、彼女は何度も手を掲げ、優美な声で祈りの言葉を紡いだ。
 だが、魔道具が反応しない。
 魔法陣が光を発しても、風は吹かず、何より温かさがない。
 その冷たさは、信徒たちの胸に疑念という名の小さな炎を灯しはじめていた。

「……『本物』は、あの方だったんじゃないのか」

 誰かが、ぽつりと呟く。
 その名を、誰も口に出そうとはしなかったが、皆が思い浮かべた。

 ──セラフィーナ・ミレティス。

 神に見放されたのではなく、この国が捨てた、『穢れた聖女』
 今は、フェルグレイという小国の『王妃』として民を護ったという噂――その名が静かに王都の民の口に上るようになっていた。

   ▽

 同じ頃、王都の裏通り──人通りの少ない露店街に、小さな足音が二つ。

「ここだよね、クラウディア様が言ってたのって!」

 元気よく先を歩くのは、ノア。
 その後ろで地図を見ながら必死に追いかけるのは、双子の妹カルミアだった。

「ちょ、ちょっと待ってノアっ、まっすぐしか見てないでしょ!?地図見てよ!!」
「うん、大丈夫!地図より勘だから!!」
「その勘で一回市場の豚小屋に突っ込んだよね!?」
「それはそれ、これはこれ!」

 カルミアが額を押さえた瞬間、目の前に目的の店が現れた。

 看板には《魔術道具・輸入専門 レノックス商会》。
 城下にも支店を持つ大手だが、王都では裏の仕入れを噂される店でもある。
 二人は息をそろえて頷き、扉を開いた。

「こんにちはー!見学でーす!」

 ノアの明るすぎる声に、店主がぎょっとして振り返った。
 中年の男は眼鏡越しに二人を見て、愛想笑いを浮かべる。

「……お子様に売るような物はないよ、坊や、お嬢ちゃん」
「だよねー!でも、ちょっとお話だけ聞かせてくれないかなー?」
「うち、怪しいもんは扱ってないよ?」
「怪しいって言ってないのに、自分で言ったね?今!?」

 ニコニコと詰め寄るノアと、それを冷静に見ているカルミア。
 そして、手にはクラウディアから渡された『特使証』が光っていた。

「じゃじゃーん!これ、見せたら話してくれるかも」
「なっ……それは……!」

 証は、フェルグレイ王国の密命を受けた調査員にのみ渡されるもの。
 王家の刻印が入っており、偽物であれば即座に逮捕対象になる代物だ。
 店主は一瞬目を見開いたが、すぐに店の奥へ案内した。
 そこには、ずらりと並ぶ魔術道具、道具のように加工された『偽装品』が置かれている。
 ノアは、眉をひそめながらそれを見つめる。

「これ……祈りの儀式に使うはずのものよね。でも、構造が全然違う……魔力の方向が逆に流れてる」
「……セラが言ってた。「祈りは人のためにあるもの。自分に返すために使ってはいけない」って」
「……つまり、これは『奇跡』の形をした……ただの幻」

 二人は目を見交わし頷き、笑う。
 そして、その報告を持ち帰ることを決めた。

   ▽

 風に揺れるカーテン越しに、セラフィーナは空を見上げていた。
 青く澄んだ空に、揺れる枝葉。
 けれどその穏やかさの中に、どこか遠い緊張の匂いが混じっているようにも思えた。
 クラウディアが、そっと扉を開けて入ってくる。

「ごきげんようセラフィーナ様……何を見ていらっしゃるの?」
「こんにちわクラウディア様。ええ、空です……きれいですね。こんなときでもちゃんと青いなんて」

 小さく笑った後、セラフィーナはゆっくりと視線を戻しクラウディアを見た。

「……正直、戦いは嫌いです」

 その言葉に、クラウディアは目を瞬かせる。
 続く言葉は、どこまでも静かで、でも揺るがなかった。

「癒しの務めを果たしてきましたが……それでも、たくさんの傷を見ました。命が、指の間からこぼれるように消えていくのを何度も……私自身も、傷だらけになりました。心も、体も……」

 静寂が静かに訪れる。
 クラウディアは、すぐに返す言葉を見つけられず、ただ彼女の言葉を受け止めた。
 セラフィーナは言葉を続ける。

「だから、私は『戦いたくない』と願ってしまいます。誰かを剣で斬っても、憎しみは終わらない……ただ、次の悲しみを生むだけで」

 その言葉に、クラウディアはようやく口を開いた。

「……それでも、戦わなければならない時もあるのです。誰かを護るために。自分ではなく、誰かを救うために」

 セラフィーナは首を振る。

「ええ、わかっています。だからこそ『敵』を作らずに済む道を探したいんです。『知らなかった』という理由で誰かを裁くのではなく知ってもらう事で争いを止められたら……って」

 そのとき、クラウディアの瞳がかすかに揺れた。
 そして――ふと、そっと微笑む。

「……やっぱり、あなたはセラフィーナ様なのですわね」
「え?」
「剣ではなく、祈りと真実で未来を切り開こうとする……それこそが、あなたの強さなのだと、私は思っています」

 セラフィーナは、胸元でそっと手を重ねた。

「……ありがとう、クラウディア様」

 目を閉じ、そっと息を吸い込む。

「今こそ『伝える』時です。あの国に、あの人たちに。私はもう一度信じたいのです……だから信じてほしい――真実を」
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