戦場帰りの聖女は「穢れた」と断罪され追放されたけれど、獣人の王に拾われて契約結婚したら溺愛されました~追放した王国が滅びかけて土下座してきましたが私はもう戻りません~

第05話 新たな聖女と穢れた聖女

 獣道のような、獣の足跡だけが残る道を、セラフィーナはひとりで歩いていた。

 木々は高く、枝はうねるように伸び、空を覆い隠している。
 冷たい風が、葉を揺らし、ざわりと森が呻くように鳴いた。

 ここは、人の手がほとんど入らぬ『境界地帯』。
 王国の版図の端、魔物の縄張りと獣人たちの領域が曖昧に入り混じる危険な場所だった。

 だが──今の彼女には、選ぶ道などなかった。

 王都から追われ助けもなく、命の保証もない。
 それでも進むしかなかった。

 肌は風に焼け、唇は乾き、指先はかじかんでいる。
 体力も魔力も、限界に近い。
 数日前から満足な食事は摂れていなかった。

「……大丈夫。まだ……歩けるぞ」

 自分に言い聞かせるように、呟くが、その声も風にあっさりとさらわれていく。
 ふらつく足で、もう一歩──そう思ったその時──風の匂いが変わった。

 焦げたような匂いと、何かが木を揺らしながら暴れる音。
 それは、自然の音ではない。
 セラは反射的に木陰へと身を隠した。

(──魔物か?)

 心が静かに強張る。
 祈りの言葉を唱えるにも、もはや魔力が尽きかけている。
 それでも立ち止まることも、逃げることもできない。
 それにはちゃんとした理由があった。

「……おにい、ちゃん……いたい……」

 微かに聞こえた声――か細く、震えた少女の声だった。
 セラの全身に、反応するように力が走った。

(え、どうしてこんなところに子どもが?)

 危険を顧みず、音のする方へと向かう。
 倒木をまたぎ、潅木をかき分け少し開けた場所に辿り着いた──そこで、彼女は見た。
 地面に倒れ伏す、小さな少女。
 その上に、彼女を庇うようにして覆いかぶさる男の子。

 二人とも、人間ではない。

 狼のような耳が頭から生え、ふわふわの尻尾が泥にまみれている。
 銀と灰色の混じる毛並み。小さな手には鋭い爪──獣人だ、それも狼系の種族。

 しかし、まだ小さな子供。
 それでも、この森で二人きりでいることの異常さは容易に想像できた。

「……怪我をしてる……」

 セラフィーナは考えるより先に膝をついた。
 倒れている少女──カルミアの身体に手を伸ばす。
 体温が下がっているし、呼吸も浅い。
 足に深い裂傷――肉が裂け、骨に達しているかもしれない。

 このままでは、命が危ない。

「やめて……カルミアに……触らないでっ!」

 男の子が叫ぶようにして、セラフィーナの手を掴んだ。
 小さな掌は震え、だがその力はしっかりと強かった。
 瞳は金色に光り、敵意ではなく必死の防衛本能に満ちていた。
 セラフィーナは微笑みかけようとして、やめなかった。
 この子に言葉で伝えなければならない。

「私は、助けたいだけだ」
「でも……ひと、は……僕たちを嫌うって、きいた……追い出す……」

 震える声、それでも目は逸らさない。
 この子は、もう既に人間から何かをされたのかもしれない。
 だから、信じる事に怯えている。

「安心しろ、私はお前たちを傷つけるつもりはない」

 セラフィーナは、そっとその手を包み込むように握った。

「――お願い、信じてくれ」

 数秒の沈黙、やがて男の子──ノアは、ほんの少しだけうつむき小さく頷いた。

 その瞬間、空気がやわらかく震えた。
 セラフィーナの掌から、光が生まれる。

「……光よ、この子の傷を覆い痛みを和らげ、命を守りたまえ──」

 小さく、祈る声。
 魔力の残滓が淡く輝き、金色の光がカルミアの傷口を包んだ。
 血が止まり、裂けた皮膚がゆっくりと結ばれていく。

(──まだ、私には力がある)

 セラの祈りは、届いている。

「……カルミア……」

 ノアが妹の名を呼ぶ。
 その声に応えるように、少女の瞼がぴくりと動いた。

「……ノア、にい……」
「カルミアっ!」

 ノアはすぐに妹の身体を抱きしめる。
 泣き声と笑い声が重なり、子どもらしい響きが森に広がった。

 セラはその様子を見つめながら、ようやく、ひとつ微笑んだ──これでいい。
 人間か、獣人か。
 そんなことはどうでもいい。
 この命が助かったのなら、安心できる。

「……ほんとに……ひと、なの?」

 ふいに、ノアがセラフィーナを見上げて言った。

「ああ。私は人間だよ。だけど、あなたたちを助けたいと願ったから、奇跡が起きただけだ」
「……ふしぎ……人間って……みんな、冷たいと思ってたのに……」

 その言葉に、セラフィーナはしばらく黙っていた。
 反論はしない。
 ただ、そっと目を閉じた。

 夕暮れの森。
 風が木々を揺らす音が、祈りの余韻のように響いていた。

 一人だった旅路が、初めて誰かと交わる。

 それは温かく、小さな祈りが結んだ──彼女自身の物語が今動き出したのだ。

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