この空のした。〜君たちは確かに生きていた〜
文久二年〜悲運のはじまり〜





 私が美しい山河に囲まれた会津で、何の苦労もなく、穏やかに暮らしていた頃。



 ―――その頃、京や江戸では、緊迫した状態が続いておりました。


 それは、兄さま達が生まれた年までさかのぼった―――嘉永六年(1853年)のこと。



 遠い異国からペリーという人が、真っ黒い軍艦四隻を率いて浦賀沖に現れるという事件が起こりました。


 江戸に幕府を開いてから、徐々に鎖国政策を進めてきた幕府にとって、強い態度で開国をせまるペリーの出現は、二百五十余年続いてきた幕府を大きく揺るがせるものでした。


 そして安政元年(1854年)。


 とうとう幕府は、日米和親条約で下田と箱館を開港し、長年続いた鎖国時代は終わりを告げたのです。


 けれど、それで済んだ訳ではありませんでした。


 外国はさらに自分達に有利な通商条約を結ぶよう求め、当時実権を握っていた井伊 直弼さまが諸外国との戦争を避けるため、勅許(※天皇の許し)を得ずに通商条約に調印してしまったことが、

 井伊さまの反対派と尊王攘夷派に幕府への不満を募らせるきっかけとなったのです。



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